正徳2年7月7日。
副田弥藤次はかねてから隣家の堀田(イ宇田)曽左(イ佐)衛門と遺恨があった。
卯(午前5時)頃、巾下新道山澄風残の下屋敷前で弥藤次は槍を提げ、曽左衛門が兵部殿へ出かけるのを待ち受け、まずは槍で突いて堀の中へ転び落ちた。
堀田も堀の中へ入って切りつけたが、明け方の暗い時間で刀の鞘が見つからなかった。
しばらく探していたが、江川で袴を脱ぎ、泥を洗って羽織で刀を包み、本多作内のところへ立ち退いた。
弥藤次は41才で勘左衛門の弟、右近将監様の伯父であった。
初めは五十人目付、その後は小普請で上畠に住んでいた。
借金のこととか家の売買のことでの恨みだとか。
風伝流の槍使いで弟子もいた。
風残の門でよしずで日を遮り、紫ふとんを着せてあった。
もだえ苦しみ、申(午後3時)頃に死んでしまった。
堀田は53歳で津田兵部代官であった。