名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

たしかにこれは乱心

元禄9年10月26日。
夜更け、曇。
丑半点(午前2時)、山田弥藤治が朝倉忠兵衛の門を叩いてやって来る。
甚だ疑わしいことであった。
明かりを灯し、玄関を開けて忠兵衛が出ると、弥藤治は壁のところで覗き見るだけで入って来なかった。
近づくと鮮血が夥しく流れ、衣を濡らしていた。
忠兵衛は喧嘩だと思い内へ入った。
弥藤治は喧嘩ではないと話していた。
家を出て行方をくらまそうと思ったが果たせず、途中で自害しようとした。
しかし、何者かの力がはたらいたのか、大小刀の刃がそげて死ぬことができなかった。
どうすることもできずに脇刀を枕にひと眠りしてしまった。
目が覚めると、ここで死んでしまっては死骸に薦を頭からかぶせられ、恥を道行く人に晒すのは間違いないと思った。
叶うことなら親類の家で死にたいと。
それで刃をおさめ、やって来たと言った。
その話は支離滅裂でまさに乱心であった。
そのため大小刀を請け取り、すぐに弥藤治を座敷に入れ監視すした。
山田弥藤治は五十人組鈴木九郎左衛門方で歳は25。
実は山田彦内と異母兄弟で、公儀へも又従兄弟分としていた。