名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-08-06から1日間の記事一覧

気分がすぐれないのに大食い

享保1年10月30日。壱岐守(竹腰)家中へ3分(3割)が今年の暮れから許される。※他藩では財政ひっ迫で家中の者からの借り上げ割合を記するときにこのような表現があります。高木八郎左は近頃気分がすぐれなかった。この日は槍なしで駕籠に乗り、鍛治屋…

良かった、良かった

享保1年10月28日。アグリ、昨日から本復し、普段通りになる。

お気に入りってこと

享保1年10月27日。近頃、高田小大夫のところで少し前ちょっと奉公していた女が平尾八郎左に奉公するのを聞きつけて、小大夫が自筆で一筆致啓上候と書き出し、中にはこの女に暇を出すようにと書いてあり、書判もある。そして為純と名乗りまで書く。この…

でも聞いてやらないと

享保1年10月26日。アグリは大便も普通になり、昼に1度、夜に1度ずつする。小便はうまく出ず。食もすすまず、気分も一進一退。その上わがままなどを言う。

でも言いたいことは言わないと

享保1年10月25日。1日中アグリは気分がすぐれず、気分がふさぐ。朝、汁かけ飯、湯漬けを食べる。未(午後1時)過ぎ、やきめし(焼おにぎり)を少し食べる。巳(午前9時)頃、白いなめを1度する。玄瑞が来て言うには、脈も良くて熱もない。気分が良…

安心するとぶり返す

享保1年10月24日。アグリは気分がすぐれないので背負われ、時々腹が痛いと言う。辰(午前7時)前になると歌などを歌い、気分もよく、初めて汁かけ飯を食いたいと湯漬け飯をたっぷり食べる。気分もよいようで文左衛門たちはとても喜ぶ。その後、小便は…

文左衛門も人の親

享保1年10月23日。アグリは朝起きて食事を少し食べ、気分もよいのか足袋を買いにやり、足袋を履いて歓び、手水を使って髪を結わせ、紅をさし着物を着て位牌の前まで歩き、いかにも気分が良さそう。しばらくするとまた腹が痛いと言う。下痢がぶり返す。…

そんな時に処罰される人も

享保1年10月22日。アグリは明け方から熱が下がり、下痢も止まる。しかし、食欲はなく時々どうしようどうしようと言う。朝、髪を結わせ、紅をさす。アグリの声を聞くに堪えず、また顔色も悪くて症状もすぐれないので巳(午前9時)前に玄瑞を呼ぶ。熱も…

さすがに頼母子会には出かけない

享保1年10月21日。明け方からアグリが少し駄々をこねる。起きると風を嫌がり、悪寒がするのか熱が下がらず。辰(午前7時)頃、玄瑞の薬を飲ませる。巳半(午前10時)、菜雑炊を2椀食べる。小便はするが、大便は少しやわらかい。未(午後1時)過ぎ…

公定価格との差は大きい

享保1年10月20日。1両で2貫700文。町奉行から高くするなと触がある。

この日から次女のアグリが病気になります

享保1年10月19日。アグリが申(午後3時)前に戻る。めしと生大根と柿も半分食べるが、しばらくすると残らず吐いて気分が良くなる。夜もよく眠る。昼の間は食事をせず、何となくぼーっとしている。

130人で運ぶ荷物とは

享保1年10月17日。千賀志摩は妻を離別する。この春から妻は戻っていた。離別状がこの日やって来る。壱岐守(竹腰)から中間130人を遣わし、道具などを運ぶ。銭は1両で2貫800文。米は5斗で口3合ぬき、その他にもいろいろと高値になる。

法事があれば恩赦あり

享保1年10月16日。富永左門が到着する。法事が終わる。名代は伊豆守が束帯で勤める。行赦が3人ある。安藝守殿からの使者足軽頭松原源太左衛門がやって来る。銀20枚。巳刻(午前9時)に終わる。夕暮れ頃、五十人衆が到着する。柴山文介も戻る。戻っ…

文左衛門は酒を飲んでは反省する

享保1年10月14日。文左衛門は法事から帰り、小兵を自宅に呼び寄せて酒を出し、それから調子にのって田んぼから小兵のところに一緒に出かける。吸物などで酒を頂く。甚内・林太もやって来る。巳(午前9時)頃、林太と甚右へ出かけ、酒を飲み、月明かり…

正徳5年1月の庵原平左か

享保1年10月13日。名代は(欠字)が勤める。庵原平左衛門が名古屋へ到着する。

しかし、連日大変だ

享保1年10月12日。但馬守様(松平友著)の入仏事が行われる。

一門の皆さまから

享保1年10月11日。日向守様(松平義孝)の入仏事が行われる。

須原は水害で宿場が移動します

享保1年10月10日。瑞竜院様(徳川光友)の17回忌の法事が始まる。名代は壱岐守(竹腰)が大紋で勤める。出雲守様(松平義方)の入仏事が行われる。今回の法事から御馳走奉行よりの酒食・菓子は出ず。惣門は石川小右衛門・飯嶋藤十郎が勤める。三門は…

これはお仕事か

享保1年10月8日。文左衛門は小兵・甚右と一緒に御下屋敷の添地で畑になったところを見て回り、その後自宅に連れてきて、餅を煮て酒を出す。添地を売り払った場所の年貢は1反(1反は約300坪)で1両1分10匁4分か。

さあ、この盗人は捕まるか

享保1年10月5日。戌(午後7時)過ぎ、文左衛門の東隣から盗人が声を上げながら裏を通ると。調べがある。可有の子河村三郎右衛門が病気のため名古屋へ到着する。将軍宣下の登城の際にとても濡れてしまい、それから痢病(赤痢など)を煩う。讃岐守様が申…

これは名誉なこと

享保1年10月3日。文左衛門は建中寺で趣のある酒を楽しむ。大猷院公(徳川家光)の御壺津嶋・御壺初音の口切で御茶などを頂く。

1000両の半分以上を使い込むとは

享保1年10月2日。寺尾悦之助家老鈴木藤右衛門・沢田庄之右衛門が5ヶ国追放となる。大小刀を取り上げ、跡は闕所となる。悦之助は若年だったので、詮議を壱岐守(竹腰)に頼まれる。壱岐守目付伊藤助左衛門が新武や(屋)紋左衛門のところへ出向いて申し…

享保1年10月の天気です

享保1年10月1日。快晴。享保1年10月3日。寒い。享保1年10月4日。屋根の上に霜が白く降りる。享保1年10月5日。快晴。穏やかで暖かい。夜、曇る。深夜、時々雨が降る。享保1年10月6日。曇。時々雨が降る。未(午後1時)過ぎから雨が降る…