名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

さすがに頼母子会には出かけない

享保1年10月21日。
明け方からアグリが少し駄々をこねる。
起きると風を嫌がり、悪寒がするのか熱が下がらず。
辰(午前7時)頃、玄瑞の薬を飲ませる。
巳半(午前10時)、菜雑炊を2椀食べる。
小便はするが、大便は少しやわらかい。
未(午後1時)過ぎ、雑炊を少し食べる。
申半(午後4時)、大便は少しやわらかいが、色は良い。
夕暮れ過ぎに小便をし、申半(午後4時)熱が下がらないので玄瑞を呼ぶ。
中寒(冷えの邪気にあたる)かと云々。
亥(午後9時)過ぎ、白いなめ(ねっとりした便)が1度する。
すぐに玄瑞に人を遣わし、調合の薬を取り寄せて与える。
その後5、6度大便をする。
白いなめか古綿のよう。
時に水痢(水のような便)もする。
子(午後11時)頃、顔色もすぐれず、倒れそうなので驚き、弥四郎に来てくれと申し遣わす。
女房は泣き、弥四郎夫婦がやって来る。
子半(午前0時)、玄瑞に3人を遣わし、呼び寄せて診てもらう。
当分心配するようなことはない。
中寒が最近流行っている。
ただ用心のために弥四郎が持ち合わせた人参5厘入りの薬を調合する。
2度飲むが、甘いと言って飲まず。
1晩中熱が下がらず、脈も荒い。
呼吸は良い。
子(午後11時)過ぎから元気が回復し、話なども時々行い、文左衛門たちは安心する。
明け方から日暮れまでの13度大便をし、子(午後11時)からは黄色い便が交じる。

文左衛門は侗斎へ頼母子会に行くはずだったが、アグリの病気のために出かけず。
1口分の懸金1両2分を遣わす。