2025-02-21から1日間の記事一覧
正徳3年11月29日。六七日の施餓鬼が行われ、名代は周防守が勤める。
正徳3年11月28日。亥(午後9時)頃、林浅右衛門の長屋からまさに出火しようとするところを、幸いにももみ消す。円覚院様霊屋掛甚右衛門の跡を小笠原八右衛門が仰せ付けられる。
正徳3年11月27日。巳(午前9時)から文左衛門は瀬左へ頼母子会で出かけ、酒や食事を頂く。戸丸勘兵衛は二口ながら得る。夕暮れから曽右へ出かける。八郎右・一郎左・瀬左。小頭から廻文がある。明日28日・来朔日に修理殿へ文左衛門たちは出仕必要な…
正徳3年11月26日。辰半(午前8時)過ぎ、廟供養の住持が香語(香を焚いて仏前に語りかけること)の後、相応寺・大森寺・性高院・高岳院1人ずつが現れる。何れも洒水(身を清めること)・薫香して一語ずつ唱え、その後少しばかり経・念仏で終わる。名…
正徳3年11月25日。天野三郎左衛門の娘が傷寒(流行病)で死ぬ。南寺町養林寺が隠居を願い出る。瘡毒(梅毒)を長年煩っていた。近頃、西洞院前中納言平時成68歳が大納言に昇進する。この家では今までなかったことと云々。時成は熱田大宮司の祖父であ…
正徳3年11月24日。巳半(午前10時)から文左衛門は元右へ行く。口米帳を確認する。武右・十郎・与左・孫右・全香も居合わせる。夜、吸物・酒・菜増水(雑炊)などを頂く。戌(午後7時)過ぎに帰る。
正徳3年11月23日。申(午後3時)前、文左衛門は源右へ出かける。頼母子は田中寿閑が得る。吸物で酒を頂く。
正徳3年11月22日。卅五日の法事が行われ、弐百部、出僧式は220人。御馳走奉行は横井頼母・生駒因幡・星野七右衛門、名代は主水が勤める。紀侯・水戸侯から使者がある。
正徳3年11月21日。この日頃、酒好きの鉄砲打ち四宮元之進が35で死ぬ。両足の膝より下がとても痛んだ。まじないで痛みが和らぐ。目・口・鼻・耳から血が流れ出て死んでしまう。
正徳3年11月20日。朝食後、文左衛門は5両の頼母子を行い、渡辺八郎右が得る。
正徳3年11月19日。この日辰(午前7時)から午刻(午前11時)までの間に足軽頭以上の拝礼が行われる。ただし、香典は昨日方丈へ渡してあり、この日は霊屋拝礼の格に順番はなく、本堂に行ってそれぞれ拝礼して帰る。香典の人数は前の通り。山門から筵…
正徳3年11月18日。行赦3人がある。名代を肥前守が襲衣冠(晴着用の衣冠)で勤める。九条様からの使者は信濃少路淡路守が勤める。加賀守殿・伊東大和守殿よりも使者がある。初月忌の施餓鬼が行われる。
正徳3年11月16日。梅昌院様から施餓鬼が行われる。
正徳3年11月15日。万五郎様から御施餓鬼が行われる。廟への家督の名代を靭負殿が勤める。本堂へは名代周防殿が大紋で勤める。四十七日の名代は特になし。入仏が終わり、渡辺備中守よりの使者村上舎人がやって来る。文左衛門は役料米6斗6升5合を売払…
正徳3年11月14日。安房守様から施餓鬼が行われる。この日、石碑が建つ。
正徳3年11月13日。本寿院様から施餓鬼が行われる。通厳院様の廟の用務を御普請奉行2人と津田平次右衛門に建中寺で仰せ付けられる。五十人小頭ならびに平組が江戸へこの日戻る。
正徳3年11月12日。千部の法事が辰刻(午前7時)に始まる。名代は隼人正が勤める。瑞祥院様から嶋沢仁大夫、本寿院様から近藤小太夫が勤める。この日建中寺三廟へ贈官位の名代高木八郎左衛門が出向く。昨夜、中間立川仲右衛門組の文八という者が上宿の…
正徳3年11月11日。今朝、石原甚右衛門・五味万右衛門が江戸へ戻る。御襲封(領地を受け継ぐこと)。
正徳3年11月10日。辰(午前7時)過ぎ、葬送が行われる。その前に江戸よりやって来た御番頭高木八郎左衛門が使者として贈官のことを本堂の棺の前へ申し上げる。御小姓亀井作之助・成瀬又之亟、御抱守2人の岡田藤三郎・馬場新七、以上4人は落髪する。…
正徳3年11月9日。明日は葬送につき特に火の元など注意するよう廻文がある。
正徳3年11月8日。鳴海を卯刻(午前5時)に棺が出発する。棺は小さく、とても軽い。山崎での小休止もなく、巳2刻(午前9時半前)建中寺に入る。本町通りから若宮の横町を通り、呉服町から京町通りへ出る。そこから直に建中寺に入る。隼人正組は大須の…
正徳3年11月7日。官位のが贈られたとの廻文がある。
正徳3年11月6日。巳刻(午前9時)、法事が終わる。名代は肥前守が勤める。故公の霊屋は河村丹左衛門に仰せ付けられ、周防殿が申し渡す。鈴木新兵衛が内記の代わりに江戸へ出発する。棺が到着するので出向くようにとの廻文がある。
正徳3年11月5日。この日から明日まで百ヶ日の三百部が行われる。名代は甲斐が勤める。惣門固は加藤清左衛門・荒川武兵が勤める。三門は間宮伴大夫・大崎半兵衛が勤める。うら門は成田藤右衛門が勤める。
正徳3年11月4日。御供番の宿割が名古屋へ着く。9日からやむを得ない作事を許すとの廻文がある。
正徳3年11月3日。酉8刻(午後6時半過ぎ)、志水八王寺の側で新町百姓の小家裏屋1軒が焼ける。目の見えない婆1人が衾(ふすま、夜着)を火燵にかけていると火が燃え付き、燃え上がると云々。
正徳3年11月2日。渡辺新助構えに行倒れがある。東新出来町の桧物屋で榑(材木)を買いに行き、酒を呑んで帰る途中で急死する。故公に従三位宰相が贈官される。このことは移文集に見える。
正徳3年11月1日。昼、柳原で火事だと。嘘であった。
正徳3年11月2日。寒くて氷がはる。昼過ぎから雪が降り、しばらく降って止む。正徳3年11月3日。雪が降り、巳半(午前9時)に止む。晴、時に曇る。正徳3年11月4日。昼頃からわずかに雪が降る。未(午後1時)過ぎ、雪が止む。正徳3年11月6日…