名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

なぜこんな日に騒ぎを起こす

正徳3年11月12日。
千部の法事が辰刻(午前7時)に始まる。
名代は隼人正が勤める。
瑞祥院様から嶋沢仁大夫、本寿院様から近藤小太夫が勤める。
この日建中寺三廟へ贈官位の名代高木八郎左衛門が出向く。

昨夜、中間立川仲右衛門組の文八という者が上宿の売人伯父伝兵衛のところへ出かけた。
文八はこの度供をして名古屋にやって来ていた。
お前は母を市のところに預け置いて一銭も与えず伝兵衛は文八に言った。
そしてはなはだ不届きだと叱りつけた。
このことでお互いが言い合いとなり、文八は伝兵衛を切り殺した。
伝兵衛の妻は脇差に取りついたが、手の内側をえぐられてしまった。
ただし死には至らなかった。
文八はそこから2、3丁(1丁は約100メートル)駆け出し、石原仁右衛門の構えで自殺した。
今朝までうなっていたが、その後死んでしまった。

近頃、隼人正は家中残らずに金を貸し与えた。
家老は30両、ただし高により、中間2分ずつと云々。

瑞祥院様より入仏事・頓写が行われ、霧山平家が勤める。