名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

棺が到着しました

正徳3年11月8日。
鳴海を卯刻(午前5時)に棺が出発する。
棺は小さく、とても軽い。
山崎での小休止もなく、巳2刻(午前9時半前)建中寺に入る。
本町通りから若宮の横町を通り、呉服町から京町通りへ出る。
そこから直に建中寺に入る。
隼人正組は大須の前、壱岐守組は惣見寺の前、飛騨守組は旅所の方に出向く。
御城代組は呉服町通り、広小路東の方へ出向く。
御老中などの組は西の方へ出向く。
御直同心と共に迎えに出る輩はよからな考えで怠けて遅れて出向き、途中でいなくなる者がとても多かった。
伊勢町などでは通り筋の裏ということで、通り終わるまで火を燃やすことができなかった。
諸士であっても通りの町ではそれぞれ戸を閉める。
附人は瑞祥院様から御用人石原仁右衛門が勤める。
本寿院様から五味万右衛門が勤める。
安房守様から御歩行頭小塩円右衛門が勤める。
万五郎様から長坂留右衛門が勤める。
津侯・右近様・但侯は今までと違って附人はなし。
先日のように建中寺へ御側同心頭・御用人が交代で泊まる。
この日から葬送まで番人及び足軽頭・中間などにいたるまで一汁一菜の食事があり、御賄頭がこれを司り、城から椀などを取り寄せる。
葬送及び廟の用務は御作事奉行戸田源右衛門が勤める。
御先手は牧彦右衛門が勤める。