享保1年8月5日。
御蔵の引起は両で5斗7升。
※米の上納を1両につき5斗7升で金に替えて、金で納めたってことですか
二条内大臣殿家来側役が道中小田原のあたりで自殺すると云々。
先月晦日に熱田を通るはずであったが延びていた。
このためか。
この八朔(8月1日)の明け方、出雲守(松平義方)の御館へ歩行の衆が供をするということで参上する。
坊主が紙帳(紙の蚊帳)の中で寝ていたのを、もう起きろと紙帳を引き開けると、布団も用いずに寝ていたが、目を覚まして何たる不作法と飛び起き、この歩行の刀を奪って引き抜き、一打ちで切り殺した。
中間2、3人が現れたが、少々切り付けられ大騒ぎとなる。
しかし、足軽が立ち向かい、叩き倒して坊主を縛り、牢に入れて詮議すると、内藤宿まで行ったが、衣服や寝具もなく一文無しとなり、この歩行衆に盆前には必ず返すと銭800文を借りたが返すあてもなく、これでは見下されると思い、奉公を続けることはできず、いっそ死のうと思ってこの如くと白状した。
翌2日の夜に乱心ということにし、首を切られる。
歩行は渡辺忠次郎と。
坊主は浅野喜右衛門子で利三と。
ともに伊織様(松平義武)の衆と。