名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-09-10から1日間の記事一覧

久しぶりの頼母子

享保2年7月20日。文左衛門は源右へ頼母子返金2分100丁57文を遣わす。

でも止められたんだよ

享保2年7月29日。1日出仕の際は御出で御戻りの時に長野九兵衛・熊沢与三兵衛が出て行き御目見する。しかし、この両人がこの日出ようとするのを須野崎・桜井が押し留めた。その間に御入りになり、両人は御目見えすることなく帰った。このことで御目通り…

やっぱり鉄砲を打ってない

享保2年7月27日。未(午後1時)頃、文左衛門は瀬左・弥次右と文左衛門のところで酒を飲む。矢田へ出かける。竹内十郎左衛門が打つはずだったが打たず。他に火矢玉などもある。少し見て宝勝寺へ出向く。弁当を開いて楽しむ。夜、雑炊を頂く。亥(午後9…

胡散臭い人物か

享保2年7月24日。竹内十郎右衛門が矢田でいろいろと珍しい鉄砲を披露し、小吉殿が出向く。隼人正も出向くはずだったが止める。隼人正始め大名衆、田辺太左衛門などたくさん弟子がいた。西川宇右衛門が保証人で越前とやらの浪人であった。「竹の内たの字…

面倒は避けましょう

享保2年7月23日。少し前、篠塚町武井作右衛門の前で桐山検校子の五十人水野勝之進が僕を連れていないことを、夜廻の足軽高田林左衛門が詰問した。水野が刀を抜いたのを棒で叩き落とした。そのうち侍2人がやって来て、この者は酒に酔っているので何とか…

真夜中ですね

享保2年7月22日。銭は1両で2貫845文。天王は本地堂へ仮遷宮を行う。昨夜子半(午前0時)頃か。近頃、戸田源五右が承り、三社拝殿・鳥居・惣門その他あちこちを修復する。

丁ってちょうどという意味もある

享保2年7月21日。壱岐守殿(竹腰)の米1石を八平を遣わし、車で一緒に引き取る。甚左から1両で5斗で買い求める。丁70文(ちょうど70文)は車賃で5斗5升ずつ。

300両足りないじゃないですか

享保2年7月19日。近頃、瑞祥院(徳川吉通正室)が上京につきその一切合切の費用として金500両を差し上げる。この後400両を差し上げ、都合900両のうち2度で600両を差し上げ、300両はいまだ差し上げず。歩行衆には雇いの内意がある。

えっ、死んでなったの

享保2年7月18日。兄の源助が同道するも、阿知波丹左衛門はこの夜到着せず。その後白井源右衛門に預ける。その他一家の者は注意をはらうようにと。

確かにやたらと家へ来られても困る

享保2年7月17日。御勘定奉行から左の通り書付で通達。用務の年寄衆への報告は日ごろ用務のため登城しているので、城で報告するよう。このために日々登城しているので、家へ来ることは必要ない。しかし日が限られ、時刻も延ばしがたい急用は特別なので、…

なぜ死体をそのままにしなかった

享保2年7月16日。亥半(午後10時)前、近藤権内長屋から出火する。長屋ばかりが残らず焼失する。権内は泊番であった。盆中に本町4丁目で野崎助八の娘の尻を何者かがさすが(刺刀)で突き、大分血が流れる。この娘はとても色を好み、異名は大つと。芝…

酔っぱらいはどうしようもない

享保2年7月15日。昼前、火事だと騒ぎがある。これは和田新右衛門裏のことであった。鐺(鍋)屋町の方にまかせる。九十軒町で御下屋敷の中間が酒に酔い、諸士に踏まれ、その後阿知波織之助の僕に組み付いて投げられ、その後町の者に踏まれると。暇を出す…

待ってました

享保2年7月14日。大須で十三郎の狂言が行われる。若宮の社内では8月7日から能興行が行われるとの札が立つ。太夫は竹村孫之進。最後に黒川又三郎・山脇和泉とある。この2人は座元。

なかなかの大ごとになってしまった

享保2年7月12日。壱岐守(竹腰)の米は5斗5升あまり。阿知波丹左衛門の検使として山上仙右衛門・野原新介が尾張を出発し、京へ向かう。丹左衛門の代わりの京詰は安井助十郎となる。14日に尾張を出発する。

スキャンダルは防がないと

享保2年7月11日。白井源助は寄合の当番だったので出かけたところ、丹左衛門かのことがこの朝知らせられたのでいで戻り、暇の上で京に出かける。

薪がないと煮炊きができない

享保2年7月10日。文左衛門は薪4両分を買い求める。今年はとても高値だった。

これこそ乱心

享保2年7月9日。京詰の五十人目付阿知波丹左衛門はこの朝から食欲がなく食べず。若党が度々伺いに行く。申(午後3時)前、伺いに行ったところ側に呼びよせ、手討ちにすると云々。若党は驚いて逃げ、隠れる。その他の召仕も皆隠れる。しばらくして召仕1…

大した火事ではなかった

享保2年7月3日。戌(午後7時)過ぎ、大曽根坂の下の裏屋1軒から火が出るが、そのまま鎮まる。

惣打ちの話と酔っぱらいの話がごちゃまぜ

享保2年7月2日。惣打が行われる。修理殿が出向かれる。辰半(午前8時)、大膳・小兵・甚右・弥次右などが文左衛門のところにやって来たので吸物で酒を出し、それから一緒に矢田へ出かける。文左衛門が弁当を全て用意する。酒は3升。弥次右は酒だけを1…

享保2年7月の徳川継友の動向

享保2年7月1日。申半(午後4時)、泉光院(徳川継友生母)へ出向く。帰りに稲生へ出向く。夜になって戻る。提灯は持たず、先の方だけで1、2つ灯す。埋門から入り、本町門へ出て、東大手から入り、西黒鉄から戻る。近頃、急に廻り道をし、どこを行くか…

享保2年7月の天気です

享保2年7月1日。巳(午前9時)前後、1、2度雨が降る。その後晴れる。享保2年7月2日。快晴。享保2年7月3日。辰(午前7時)過ぎ、雨が降り、しばらくすると大雨となり、その後止む。時に時々小降りの雨が降る。時に晴れる。蒸し暑い。享保2年7…