名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

享保2年7月の徳川継友の動向

享保2年7月1日。
申半(午後4時)、泉光院(徳川継友生母)へ出向く。帰りに稲生へ出向く。夜になって戻る。提灯は持たず、先の方だけで1、2つ灯す。埋門から入り、本町門へ出て、東大手から入り、西黒鉄から戻る。近頃、急に廻り道をし、どこを行くかは気分次第で道筋はわからず。
享保2年7月5日。
建中寺を詣でる。
享保2年7月14日。
辰半(午前8時)過ぎ、文昭院様(徳川家宣)を参詣する。
享保2年7月24日。
晩頃、泉光院(徳川継友生母)へ出向く。戻ってから夜食を食べる。いつも食後には針を立て、御夜詰は丑(午前1時)過ぎに下がる。少し前から後藤玄隆を気に入り、昼夜とも登城する。
享保2年7月26日。
建中寺を詣でる。
享保2年7月27日。
御生見玉(生きている親を供養する)の供応がある。辰(午前8時)頃、泉光院様(徳川継友生母)の屋敷に出向き、操り、紅葉狩が行う。巾下で行っていた元太夫が終わって逗留していたので3人扶持を下す。操りの間に十三郎座の狂言・踊りがある。御側衆・御医者衆が残らず見物する。戌(午後7時)過ぎに戻る。
享保2年7月29日。
有章院様(徳川家継)を参詣する。