名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

惣打ちの話と酔っぱらいの話がごちゃまぜ

享保2年7月2日。
惣打が行われる。
修理殿が出向かれる。
辰半(午前8時)、大膳・小兵・甚右・弥次右などが文左衛門のところにやって来たので吸物で酒を出し、それから一緒に矢田へ出かける。
文左衛門が弁当を全て用意する。
酒は3升。
弥次右は酒だけを1升。
酒や食事を気持ちよく楽しみ、夕暮れ過ぎに帰る。
(惣打の成績は略)
弥左衛門の話は鉄砲に関することではなし。
弥左衛門の聟で関右衛門の子である正木源八が初めて惣打に参加するが、貧乏でもてなすことができなかった。
左のごとく弥次太夫が酒・食事を遣わし供応した。
海部伝右衛門姉聟米屋与兵衛の娘を弥左衛門の娘にして遣わした。
海部弥左衛門は以前から鉄砲を自慢の一品にしていたので、頭に惣打で見せたいと云々。
惣打で打つとのことで出向くはずだった。
水野弥太夫の二人の子は弥左衛門手習躾方の弟子だったので煮物で酒を請け合ったと云々。
弥次太の加増地は杉村にあった。
この朝立ち寄ったところ百姓がもてなし、酒を多く飲んだ。
連れは杉山次郎太夫、酒井喜右衛門であった。
そこから矢田へ出かけ、弥左小屋見廻り衆と弥次太夫が主人となって次から次へと酒を飲んだので、途方もなく飲むことになってしまった。
隼人正が鷹野に出向かれ、昼過ぎに南の堤を通られた。
弥次太は他へ獲物を見せるために出かけ、出会った。
後日隼人正は、弥次太はよい機嫌だったと言われた。
酒に酔っておかしくなる前に会ってそう言われたのか、それとも我慢されたかと云々。
その後、小便をしようとして倒れそうになったので、若党が後ろから抱きかかえると、無礼だと河原へ連れて行って押さえつけ、馬乗りになって成敗しようとするのを次郎太夫などが何とか取り押さえた。
帰りに堤で片桐清蔵が追い越したのを無礼だと言い争いとなり、槍を奪い取ったが、酔っていたので落としてしまった。
清蔵との口論は大曽根と新道、志水の間のことと云々。
清蔵には連れが1、2人いた。
次郎太夫などが何とか仲裁した。
清蔵も酒に酔っていたようなので何か言い残して去って行った。
大曽根から新道、志水の間では必死で次郎太が喜右衛門の若党の成敗を押し留めた。
清蔵との果し合いも押し留めた。
大臆病の腰抜けと叫び、ここで動かずと云々。
そのうちに乗物を取り寄せ、なだめて連れ帰った。
清蔵のことはその夜次郎太夫などが取り持っておさめた。