名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-05-01から1日間の記事一覧

確かに乱心かな

正徳5年3月29日。近頃聞いたところでは鈴木弥右の甥五十人浜島□が乱心の様子。夜な夜な召仕の寝息を聞き、また急に起きて障子などを切る。その他にもいろいろなことがある。

麦の方が米より少し安い

正徳5年3月28日。麦の値段は1両で4斗1升。

さあこれは何に使うのか

正徳5年3月27日。文左衛門は勘太から松木240束を買い、代金は2両。他にも銀2匁6分3厘。雑用金は平田、半銀は銭で来月2日か3日にかよい屋敷まで遣わすと云々。

こういう生活を送るのが僧

正徳5年3月26日。円満寺長行が廻向を行う。

こんな生活が送れたら

正徳5年3月25日。昼から十郎右に誘われて文左衛門は御具足屋彦十郎のところへ出かける。水野八右・山田久左・真鍋茂太も居合わせ、仮山(築山)がある。茂った木に、珍しい岩に、つつじが爛漫。柴見(ママ)丈という木がある。酒を飲み、夜にはうんどん…

家の工事が終わったんですね

正徳5年3月23日。あぐりは昨夜1晩中熱があった。今日は少し熱が下がり、未(午後1時)頃から快方に向かう。夜は気持ちよく眠る。母親が水野から帰る。勘太の召仕4人もやって来る。食事をさせ、50銭ずつ与える。

文左衛門のやっぱり親です

正徳5年3月22日。辰(午前7時)頃、あぐりが吐き、その中には干大根などが見える。宿食(消化不良)か。その後また1度吐く。その後少し良くなる。申(午後3時)前、やきめし(焼きおにぎり)を少し食べた後、また吐く。この時、唇の色も青く、苦しそ…

少し下がりましたか

正徳5年3月15日。米は両で4斗。

これも失態だよ

正徳5年3月13日。百年忌の御馳走奉行を兵部宅で荒川次郎九郎・野崎清左衛門・星野七右衛門・鈴木弥右衛門に申し渡される。4つ(午前10時)ということであったのに、4つ半(午前11時)まで次郎九郎は現れなかった。催促の手紙を貰ってやっと現れた。

小普請って閑職ですよね

正徳5年3月12日。壱岐守殿(竹腰)はこの日忌があける。このため家中も月額を剃る。五十人目付本多新右衛門が役を解かれ、小普請となる。父は新番で与左衛門という。与左衛門は妻と甚だ不仲のため妻を追い出したので、新右衛門は別に借家を借りて母と一…

ちなみの1万両はどうやって運んだのでしょうか

正徳5年3月11日。大坂から金1万両を借りて後藤半左衛門がこの日戻る。

庄三郎は名古屋の名目明し

正徳5年3月9日。永らく煩っていた目あかし庄三郎が死ぬ。近年は罪を恐れ、念仏することが多々あったと云々。天野孫作・蜷川善左衛門が勤めていた時に大罪を赦されて目あかしになっていた。昨夜、伝馬橋裏清左衛門という葺師が隣家の女房を切り殺して自害…

犯人は百姓たちなのか

正徳5年3月8日。近頃、平子で松の木の薪が盗まれたことが勘太夫から報告がある。松の木の番人のいる家に百姓数十人が手に束ねた木を持ってやって来て、その木で家の周りを包み囲んだ後、槍などを内へ突きこんだ。その上、火を放って焼いてやると罵ったけ…

どこもが生活に困っている

正徳5年3月7日。大橋小伝次が伊勢から帰って来て言うには、桑名の侍は木綿の衣服の上に上下などを着ていると。甚だ質素な様子と云々。施行が行われており、1人に米2合半ずつがどの国の者でも貰えると。熱田の社の末々までの神人(神職)は凍餒(とうた…

わざわざ冨民と書かなくても

正徳5年3月6日。吉日であったので文左衛門は隠居屋の柱立て、棟上げを行う。亥(午後9時)頃、中嶋郡中の庄村冨民兄弟3人の家で火が出る。

演者が悪いのか、題目が悪いのか

正徳5年3月3日。橘町の浄瑠璃は全く人が集まらず。未(午後1時)頃より始まる。

お金の貸付があるってことでしょうか。

正徳5年3月2日。4日、市金を借りる輩を頭があるものは頭へ呼び、御直衆は菴原平左へ呼び、金が出ることを申し渡し、頭のところでは今月中などと伝える。兵庫組へはそれほど急ではないと。(後略)

財政を立て直すためか御殿をかなり壊しています

正徳5年3月1日。手形米は先ごろ5斗2升であったが、近頃は5斗になり、やがて4斗8升となる。戸田源五右衛門により横須賀御殿を残らず壊す。邸宅だけを残す。2月20日、泉光院様(徳川継友生母)の使者、御悔みのみで中村源右衛門が勤める。同21日…

正徳5年3月の天気です

正徳5年3月1日。薄曇。申半(午後4時)から雨が降る。夜半から雨が止む。正徳5年3月2日。晴。正徳5年3月3日。寒い。快晴。正徳5年3月5日。晴。未(午後1時)過ぎ頃、小雨が一降りして晴れる。また後でも同様のことがある。正徳5年3月6日。…