宝永7年5月18日。
杉村の下条庄右衛門の百姓が竜泉寺へ馬の頭を出した。
小畑で他の馬頭が棒を使うのを見て、棒を欲しがった。
この者が言うには、こっちへ来いと云々。
杉村に見知った者がいて、あれは乞食だ、どうしてこっちへ来いなどと言うとからかった。
杉村の1人は頭を打ち割られ、残りの者も散々叩かれた。
庄右衛門から町奉行にこのことを訴えた。
町奉行はすぐに命じ、玄海のこの乞食に番を付け置いた。
後に乞食1人は斬罪となる。
残る27人は追い払われた。
亥(午後9時)頃、長久寺下赤塚町井田源助手代小嶋喜平治の南側4間口の借家にたばこや平右衛門の妻がいた。
この妻は30ほどで子はいなかった。
同町木戸の側北側の大用寺地子油屋喜右衛門という者が平右衛門の留守を見計らってやって来た。
平右衛門は半町ばかり西の町へ火待(徹夜で日の出を待つ行事)に出かけていた。
喜右衛門はこの妻を刺し殺し、自殺した。
両死体を塩淹(漬)にし、奉行所に引き取って置いておいた。
閏8月両死体は磔になった。
喜右衛門は密夫であった。