名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

尾張藩って外交下手

享保1年6月29日。
昨日、なめ川(滑川)の橋の見分を真鍋茂大夫御馬廻が仰せつけられる。
7月4日に佐藤庄左衛門とともに出発する。
大工3人も。

昨日、江戸で御機嫌窺いに御三家から使者を差し向けたところ、水戸・紀伊からは御家老衆が出向いたが、尾公からは富永左衛門が出向いたので一つの間にも入れず、散々な不首尾と云々。
御代初の御礼であったので恒例の出仕はなし。
尾張の年寄衆は問い合わせもろくに行わず、面倒くさがってのことであった。
両家に出しぬかれたなどと言うのはへらず口であった。

近頃、戸田市右衛門のところに、先年手打ちし損ね行方をくらました尾崎半平弟が隠れていたが、高木次右と出会って次右の頭を少々切り付け、次右は内密に療治すると。