正徳2年6月8日。
愛智郡石仏村慈雲山善昌寺は開祖が快堂和尚で御器所竜興寺の末寺であった。
石像観音を近頃開帳する。
この石仏があったので村の名前となっていた。
千手と称するが、面目(顔)も手足も見えなかった。
ぬっぽり(のっぺり)とした古い大石であった。
村民の口碑(言い伝え)では最初は寺の1町(1町は約100メートル)ばかり東、今の古観音の森の中で畳8帖敷きの大石の上に安置してあったのを松平助左衛門という人がこの石を持って来て庭に置き、こたつにしたが、足に火が燃え付いて焼死したとの言い伝えと云々。