名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

妻のパワハラか

正徳5年4月2日。
飛騨守(渡辺定綱)の家督が相違なく源之助に組とともに下される。
組の者は元々隼人正組であったが、謂れがあって飛騨守先祖に分け預けていた。
組で替わるようなことがあれば源之助から隼人正へ頼み、相談するようにと。
このことは隼人正へも言いつける旨、言いつけられる。

南寺町栄教山随法寺の弟子吟道は、この春から煩い、その後地蔵の告げだと言って色々おかしなことを言っていた。
時に突然倒れ、息を吐きながら告曰(こうあつ)告曰と言い、地蔵が乗り移ったと言ってはわけのわからないことを言っていた。
かねてから先月24日に死ぬと人々に申し聞かせていたが、その日はいろいろとわけがあるので、4月2日と定めた。
この日未(午前9時)過ぎに行水し、衣・袈裟を代え、性高院から十念を受ける。
やがて未半(午後2時)に往生と云々。
未(午後1時)過ぎから弱りだし、念仏を絶えまなく唱える。
兄弟親類に念仏講の男女、その他にも本堂に数百人が集まる。
本願寺宗東漸寺も弟であるのでやって来る。
中西不硯も側にいる。
合わせた手が離れ、膝に倒れ伏す。
それと集まって脈を診ると既に散り散りで、後ろから抱きかかえるうちに息が絶えると云々。
拝もうと本堂に人々がなだれ込み、方丈へ駆け込む。
かましいと制するが聞かず。
唐紙3本を倒し、障子2本を木端微塵にする。
寺社奉行へも性高院・随宝寺が詳しく知らせておくと云々。
近頃の伊与の安斉の臨終と同じかと云々。
これはひどい悪だくみで大嘘と云々。
ある人が言うには石地蔵の開眼をしそこね堆惕(だいてつ)鬼(座禅の最中に人を妨げる鬼)に取りつかれ、どうしようもなくなる。(後略)

近頃、渡辺十左衛門が江戸へ下った際、妻に付いて来た女が書置きをし、自害する。
去年あたりに荒川外記の妹を妻に迎えていた。
この前にも召仕の女が井戸へ身を投げることがあった。

正月28日に尾州から出た七里飛脚が状箱1つを紛失する。
紀州の七里飛脚も状箱を山中で紛失する。
尾張のものはどこで失くしたのかいまだに場所もわからない。