宝永7年9月30日。
この夜戌(午後7時)過ぎ、甲斐が下屋敷に到着し、すぐに死去が披露される。
しかし、26日石部で亡くなると云々。
寅の年、寅の月、寅の日に生まれたと云々。
隼人正の従弟であった。
弔いの使者として江戸から供番吉田平内。
香典は銀30枚は書院番頭生駒外記が下屋敷へ。
姫君さまから3枚、少将様のところから2枚、但馬様から1枚。
隼人正から八幡へ高浜外記を使者として5枚。
法事料八幡正法寺へ100枚、高岳院へ20枚。
10月4日、大高へ死体が行き、夜火葬となる。
長寿寺で禅宗住持石梯高岳院が戒名を付け、鬼簿(死者の名を記した帳面)につける。
かねてから道芝の名を自ら付けていたが、思った通り道の芝となる。
近頃、二の丸で大きな普請がある。
とても大がかりなものであった。
作事奉行は河村丹左衛門、小納戸小嶋平左衛門がこれを承る。