名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

乳母の募集の話ですね

宝永7年10月29日。
文左衛門は今朝琉球人が宿を出発するのを見物する。
音楽が流れ、ひっそりとしていて人も集まっておらず、よく見えたのはよかった。
辰刻(午前7時)に出発すると云々。

井伊掃部隠居覚翁軒が江戸へ召される。
この夜、熱田に泊まる。

渡辺備中守が江戸へ下るため鳴海に泊まる。

大村源兵衛でやって来て言うには、御さし御抱の書付でどうやら意味の鳥違いがあるようだ。
隼人正組、御城代組、小普請だけに限るように読めるし、希望する者とあるがそんな意味ではない。
こちらから頼みたい者という意味である。
幼い子が何人いようと、希望するなら江戸へ召し連れてもよい。
それも江戸へついてきたいのであればついてきてよい。
金に支障があるようなら手当も出る。
もちろん夫婦が健康で、子も息災であればのことであるが。
妾であっても構わない。
寄合衆から小普請までの中から頼みたいと云々。
源兵がこの用務を承ったので、方々に問い合わせている。
文左衛門にも心当たりがあるようなら出来るだけ話を聞いておくようにと云々。

大村源兵衛が言うには、近頃御さし御抱の書付に食い違いがあると。
隼人正組、城代組、小普請だけに限ったことのように思われ、また望む者とあるのははなはだ意味が違っており、頼みたいということであった。
幼子が何人あっても、好きなだけ江戸へ召し連れてもよかった。
それも江戸へついて行きたいのであればついて行ってよかった。
金に差支えがあれば手当てがあった。
もちろん夫婦無事で、子も息災であれば、妾でも差支えはなかった。
寄合衆から小普請までの中で頼むと云々。
源兵衛がこの用務を請け負い、あちこち確認していた。
文左衛門にも心当たりがあればできるだけ聞き出すようにと。