正徳3年3月15日。
卯(午前5時)前、山城守が尾張を出発する。
天王坊へ長野村万徳寺の院主が入り、その後には玄英法印(八三郎様の母公泉光院の弟)が仰せ付けられる。
今朝上田町誓願寺で一万日惣回向が行われる。
9日からとても大きな鉦4挺を打ち鳴らし、人が群れ集まる。
談義は能化衆(長老)の正覚寺、祐福寺が行う。
その間には所化(修行僧)の僧が代わる代わる毎日4、5座行う。
14日には門の両方の壁を打ち抜き、参詣の人を通す。
その夜は夜通し数千の参詣があり、念仏が地を震わせ、大提灯は37張あり、門外・門内は昼間のようであった
月は明るく、1晩中えいやえいやと人ごみをかきわけることもできなかった。
上は1丁目から下は広小路まで芝居が終わった時のように往来は込み合い、飴売・菓子売・酒屋・蒲焼まであおぎ立てた。
戌の時(午後7時)にはわや者(狼藉者)が庫裡に押し入り、女を担ぎ上げて僧も町人も張り倒した。
押の者を方丈から連れて来て次第に追い出した。
この間、大騒ぎして目を回した者は2、3人いた。
夜中には大火事のようにどやどやと人が集まった。
参詣の者は上は伝馬町、下は蜷川伴右衛門あたりまでで門内には収まり切れず、びっしりと込み合い、もみ合い、大路に立って念仏する声は雷のようであった。
寺社・御国・町の3奉行、御目付以下が翌15日卯刻(午前5時)に桟敷に上がった。
卯半(午前6時)に導師正覚寺堅空上人及び住持教空、南寺町誓願寺謙芳上人3僧を立てて一せめの融通大念仏が行われた。
そうして願以此功徳の十念廻向が行われた。
この時3間半(1間は約1、8メートル)の大幡を7間5尺(1勺は約30センチ)の大竿に車で牽き上げた。
引き続き常念仏が再び開白と云々。
男女がもみ合い、怪我をする者もあったが無事に終わった。
城下では初めての万日(万日廻向)であった。
30年前に橘町・尾頭で万日が行われたが、共に野外で廻向を行った。
この度は寺で行われた。
古井村の金竜山宝珠寺の地蔵が今月28日まで開帳する。