名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

註では文左衛門さん意味が通じないと言ってますが大意はわかりますね

正徳3年3月19日。
夜、垣沼清貞が寅(午前3時)過ぎに、佐藤庄左衛門・恒川左五兵衛は信州伊那川の橋の修復の用務で今朝出発する。

昨日、御馬廻米倉伊平次と御目見従弟米倉左平太が共に立ち退く。
伊平次の養父有計はわがままで勝手気ままであった。
召仕はもちろん日用も嫌って簡単には雇えなかったと云々。
近頃、伊平次は御使番になったが召仕がいなかったので母の病気にかこつけて断りを入れたと云々。
このことから色々なことがあった。
有計一家と全員が関係を絶った。
近頃妻が大病を患うが、金子の母は姑であった。
呼んで会わせろと全香が言うが承諾しなかった。
日ごろから人の道から外れ、短気であるので耐え難いと。
分蔵の嫡左平太継は母に耐えかねて。
(註固有名詞の説明が不十分で意味は通ぜず)