名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-07-02から1日間の記事一覧

恐ろしや

宝永7年6月23日。横井外記が紀州から帰る。近頃、高倉の社に夜丑時(午前1時)参りがあった。これは桔梗屋半右衛門は性悪で、妻を持ちながら伝馬町あたりで振袖(芸妓)と馴染みになり、妻を追い出して女を家に入れると約束したため。半右衛門は最初浜…

今なら著作権法違反

宝永7年6月22日。この日の昼、勘大夫は篠木あたりへ狼打ちに出かける。以後、国奉行は順に出かけ、狼を打たせたけれど小さい狼や鹿などが打つのがやっとであった。国奉行の手はずがよくなかったので、害を与えるようなものは打てなかった。近頃、駿河町…

人の苦労もわかってやらないと

宝永7年6月20日。滝川又左衛門の中間1人が大久保見の元結屋梅ばちや又六のところへ出かけ、受け取る元結紙が半分はよってあり、半分はそのままであったので半分の代金だけを払うと勝手なことを言った。又六が言うには、近頃元結をよる者が少なく、値段…

権勢があれば何でもできる

宝永7年6月19日。卯刻(午前5時)、文左衛門は白林寺を詣でる。修理の妻の七日であった。菓子などが出て巳半(午前10時)に終わる。昨日は巳(午前9時)から昼までであった。文左衛門は直ちに犬堂へ出かける。夕食を食べ、夕暮れに帰る。通所へ寄っ…

本当に務めですか

宝永7年6月18日。辰半(午前8時)過ぎから文左衛門は務めのため能瀬甚右のところへ出かける。冷麦などが出る。曲淵源兵・徳光雲平も居合わせる。葱冬酒(当時流行った酒のようです)などを頂く。日が暮れて帰る。

若宮祭です

宝永7年6月16日。梅昌院様が祭を見物する。八三郎様の門を見物所として連枝様方が見物する。巳(午前9時)頃、入られる。

それぞれの町が張り合っている

宝永7年6月14日。近頃、町々は天王祭で提灯を燃やすことが多くなっていた。そのうち奥田町は駿河町の東松原まで高提灯を燃やす。帆懸船、宝塔、軍配団扇、柳竜扇などの形、あるいは天王の字などを提灯で作る。およそ高さ5間(1間は1、8メートル)あ…

そうだ1泊したんだ

宝永7年6月13日。朝飯後、文左衛門は部屋で吸物・酒などを頂く。辰半(午前8時)に出発する。新居御殿番の庄屋十右衛門のところに寄り、冷水(ひやみず)を頂く。そこから大森寺を通り、藤入の下屋敷で水野から取り寄せた弁当を食べ、ここから召仕は元…

本当に何をしているのかよくわからない

宝永7年6月12日。文左衛門は辰刻(午前7時)から尉右・藤蔵と水野へ出かける。文左衛門は槍・挟箱を持ち、若党・草履取を連れていく。久治の部屋に2升樽を1つ、干きすを20枚を持参する。勘太へ有平糖の曲物1つを持参する。印場は斉場とも書く。左…

文左衛門って面倒見がいいんです

宝永7年6月11日。酉半(午後6時)、半左衛門の後家から伝十郎のことで文左衛門に会いたいと云々。すぐに文左衛門は出かける。伝十郎は今月5日に女のことで争い、坂下の借家へ出て行ったと云々。戻りたくて詫び言があったと云々。

様々なお付き合い、大変です

宝永7年6月10日。東福門院年忌のため足軽頭成田紋大夫がこの日京へ出発する。姫君様からは寄合津金武右衛門を雇い、出発する。

これも穏便

宝永7年6月5日。5日から7日まで鳴物は禁止となるが、普請は許される。

徳川吉宗の妻真宮が亡くなりました

宝永7年6月4日。尾州から紀州へ弔使として五十人組頭横井外記が出かける。

いつもの仲間とのお出かけ

宝永7年6月1日。今朝、星野七右衛門が狼猟から帰宅する。辰半から前からの約束で文左衛門は藤入新田へ出かける。曲淵源兵・稲葉半右が先に行っている。各持参の弁当を開き、酒を飲み食事をする。その後、源右衛門父子もやって来る。一緒に大森寺へ出かけ…

宝永7年6月の天気です

宝永7年6月1日。曇。時々わずかに雨が降る。時に日も差す。宝永7年6月2日。曇。前から(?)晴れる。宝永7年6月3日。涼しい。曇。昼前から晴れる。宝永7年6月4日。涼しい。曇。宝永7年6月5日。涼しいが、雨が降りジメジメする。夜に雨が止む…