名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

みちだけが死罪なの、なんか変だなあ

文政7年。
10月19日夜五時(午後8時)から翌20日夜まで雪が降り続く。
凡そ雪は3尺(1尺は約30センチ)積もる。
さほどの寒さでもなし。

11月9日夜、堀川聖運寺前で船頭が殴り合い、半死半生となる。
12月1日、高野孫兵衛中間が銀札を作って捕えられる。
同4日、七軒町浅野利右衛門召仕の女が小便器へ落ちて死んでしまう。
16才だと。
同夜、堀越村で火事があり、3軒が焼失する。

12月、国府宮で冨(富突)が許される。
冨は永らく許されていなかったが、この度またまた許され、広井八幡で冨を突く。

12月(ママ)日、土器野において死罪となった女は次の如く。
奥州白川郡高野村百姓七郎兵衛娘 当時無宿みち。
みちは奥州白川郡関岡村百姓喜左衛門倅の当時無宿の髪結鉄五郎の妻であったが、常州泉村髪結金八のところにおり、金八のところにいた熊吉と密通して行方をくらまし、金八に連れられて濃州岐阜の地へやって来て同所の大桑町に住んでいた。
鉄五郎がみちを連れ帰るとやって来て鉄五郎と熊吉が口論となり、熊吉を殺害し、みちも傷を負ったのはきわめて不届きであるので土器野で死罪を申し付ける。
一 鉄五郎が熊吉を殺害した件は密夫のことであるので罪ではないが、領内へやって来て殺害したことは不届きであるので領内から追い払うことを申し付ける。

12月25日未刻(午後1時)より前津経堂筋の紺屋から火が出る。
家数1400軒ほどが焼失し、申の下刻(午後4時半)に鎮火する。
一 富士見藤根は半分焼ける。
一 死人は7人と。
その中で坊主鉄弥、尼鉄浄の死骸は予が見る。
他に子ども3人が酒蔵に閉じ込められ、1人は藍瓶に落ち、1人は井戸へ入った男がいる。
〆て7人と云々。
火事の図は次の如し。
(図は次頁)。

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