名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

碑文によると、南溟が竹林に朽ち果てた骨があり、それが災いの元だと告げたようです

文政7年。
(図略)
一 △印に死んでいた坊主鉄弥は世間では栄竹という異名を名乗る。
傍らに1尺(1尺は約30センチ)5、6寸(1寸は約3センチ)の脇差がある。
木瓜の鍔で鞘は焼けてしまう。
一 尼鉄浄は▽△(これが上下にくっ付いている)の印のところ。
□印のところまで出て来て裏口雪隠の前で死んでしまう。
腸が出ており、草履を履いていた。
一 両人とも指は焼け落ちる。
26日夕、両人の死骸を片付けると。

天野氏から高岳院で建てた碑の写し。
ただし、木でまず仮に建てる。
(碑文略)
右天野氏は家禄1000石で代々家計が困窮し、屋敷もひどく壊れていたので親類衆が相談するも、いずれの家、あるいは親の代は困窮しており、祖父は内福(見た目はそれほどでもないが裕福)などの類であったが、代々貧富はまちまちである。
この家では代々裕福であることはなかった。
何か特別なわけでもあったのだろうか。
ここで大野南溟という当時の易者が占って藪を掘るが、何もなかった。
さらに5尺(1尺は約30センチ)掘ると、碑文のような品の他に金の水壺、古銭などが出たと。
いずれにしても不思議なことである。

今年申年の春、昨年冬から柳樽風の俳諧が流行り、雅名水魚洞の柴田承慶社中(同門)の句を選び集め、外題を桜鯛として書林へ出す。
これが殊の外流行る。
桑名町福泉寺で巻びらき(巻披)が行われる。
今年春になって石橋庵も始める。

津島遷宮のため去年冬から木引が行われる。
町々から瑞出(注連縄)を拵え、踊りを行い賑やかである。
芸子も多く出かけて打ち囃す。

2月9日、この年初めて雷が鳴る。
雷は少しだけ鳴る。
広井のあたりでは雹が降る。
同20日から日比津村定徳寺で祖師の遠忌が行われ、音楽や法会が行われる。

26日、桜天神へ木下正三郎が舞囃子を奉納する。
同日若宮の天神へ獅子舞、はしご上りの軽業を奉納する。
拝殿の西南に仮舞台を設け、その他社内に神灯がたくさん灯されて参詣の者が多く集まる。

堀川の桜に花虫がたくさん付いたので、今年の桜の花は少し良くないと。
また去年たくさん枝を空かしたので、今年の桜の花は良くないとも。
しかし、人はとても多く集まる。
楊弓の店が出る。
満開の間は雨が降ることが多かった。

2月25日夜、大きな雹が降る。

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