名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-05-09から1日間の記事一覧

借金のことで逐電した介之右衛門ですね

正徳5年5月29日。石川新之助がこの5、6日喉に物が出来て食事を摂らず、弱って寝込んでいた。熱も出る。昨夜、熱が高くなって悶え乱れ、この日は呼吸も荒く白目をむき、手足は冷たくなる。文左衛門は巳(午前9時)過ぎから出向く。通庵・三益・玄譆が…

藩主の法事は少し違う

正徳5年5月28日。泰心院公(徳川綱誠)の十七回忌の法事が始まる。名代は狩衣で駿河守(大道寺)が勤める。朝、梅昌院様(徳川綱誠側室)が詣でる。点心(昼食)で帰られる。入仏事が行われ、瑞祥院(徳川吉通正室)から頓写が行われる。本寿院様(徳川…

知恩院といえば総本山

正徳5年5月27日。京知恩院貫主、前の大僧正応誉が再三の願いにより、この日諸司代水野和泉守から上意を伝え、辞表の通り隠居を認めるとのこと。その日、法然の影前で別れの念仏を行い、布の墨染と替え、本堂から直ちに歩いて六条坊門の如来堂へ向かう。…

どうも申されぬ、何のこっちゃ

正徳5年5月23日。法事が終わる。名代は兵部殿が勤める。隼人正実母の家老大久保養蔵が急に隠居して2人扶持となり、屋敷は召し上げる。養蔵は郡八の兄。転変と云々。犬山でも改易などがあると。近頃、どうも申されぬという歌がとても流行する。ある人が…

連日のように法事が行われる

正徳5年5月22日。馨香院様(徳川光友三女)の法事が未半(午後2時)に始まる。僧は20人。御馳走奉行は松井与兵衛・田辺太左衛門が勤める。惣門は荒川武兵衛・安藤甚左衛門が勤める。山門は遠山所左衛門が勤める。

商売は目のつけどころが大切

正徳5年5月20日。この朝、行赦はなし。名代は主税殿が勤める。少し前、大坂者の願いで領内の何もできないような閑地、河原などに至るまでとうのごま(ヒマ、ひまし油をとる)を蒔いた。運上は金だろうと油だろうとろうそくだろうと言いつけられたままに…

これも倹約か

正徳5年5月19日。未半(午後2時)、得安院様(松平義昌)の法事が始まる。御馳走奉行は富永内左衛門・大久保平大夫が勤める。御先手は兼松善蔵・間宮伴大夫が勤める。出僧は18人で、去年の半分を仰せ付けられる。御経も短く、申(午後3時)頃終わる…

これも困窮のため

正徳5年5月18日。昨今馬の頭がとても少なく、文左衛門の町はたった1つ通っただけである。この日梅昌院様(徳川綱誠正室)が御覧になる。昨日は瑞祥院様(徳川吉通正室)が御覧になる。何れも何とか3、4疋を牽いてくると。

何事も倹約

正徳5年5月17日。この日、馬の頭はほとんど現れず。この朝、武野新五左衛門が尾張を出発する。今まで御壺(茶壷)は30ばかりあったが、今年から10減らす。竹田道泉は去年まで2つずつ詰めていたが、今年からなくなる。もっとも下される銀もなくなる…

また屋敷のどこかを直したか

正徳5年5月16日。文左衛門は左官善七を呼ぶ。代金は2匁5分。

まずは犬山へということか

正徳5年5月15日。昨日巳半(午前10時)頃、隼人正は犬山に到着する。この日巳半(午前10時)頃、名古屋へ到着する。

4月25日の件ですかね、字が違いますが

正徳5年5月13日。高木十右へ宝周寺を呼び、随宝寺の43になる岩清について申し渡される。少し前、岩清は不定なことを広めたとかで、上からの言いつけではなく、役所からの指図で指示で謹慎・逼塞となったと聞き及んでいる。格段なこともないので、前々…

それほど新金が使われていないということ

正徳5年5月11日。近頃、新金をさらに流通させるようにと指示がある。江戸では物価が急に上がると云々。名古屋でも銭1分は820文であったところ、この日から800文を3、4文下回る。米は4斗3、4升となる。

勝手向は財政面

正徳5年5月9日。成瀬と竹腰の両家は、今後は御勝手向などの用務まで扱うようにと言いつけられる。ただし、加判や月番は必要ないはず。(5月4日)

手抜き工事か

正徳5年5月4日。浜嶋甚左衛門表の塀の崩れたところを近頃築き直したが、また2、3間(1間は約1、8メートル)崩れてしまう。

正徳5年5月の地震です

正徳5年5月5日。巳半(午前10時)、地鳴りがする。少し地震がある。

正徳5年5月の天気です

正徳5年5月1日。曇。雲が乾(北西)へ流れて行く。夜、雨が時々降る。正徳5年5月2日。曇。昼前後雨が降る。正徳5年5月3日。小雨が降る。時々雨が降る。夜も同様。正徳5年5月4日。1日中雨が降る。夜、雨が止む。正徳5年5月5日。細かく細い雨…