名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

借金のことで逐電した介之右衛門ですね

正徳5年5月29日。
石川新之助がこの5、6日喉に物が出来て食事を摂らず、弱って寝込んでいた。
熱も出る。
昨夜、熱が高くなって悶え乱れ、この日は呼吸も荒く白目をむき、手足は冷たくなる。
文左衛門は巳(午前9時)過ぎから出向く。
通庵・三益・玄譆がやって来て皆が言には、疱瘡の初期の病状でもないし、痢病でもない。
喉の病だけでもないようだ。
何の病かわからない難病だと云々。
未(午後1時)過ぎに終に死んでしまう。1
0歳であった。
兄雲平も6月に10歳で死んでいた。
病状も兄と同じようであった。
翌晩葬り、高岳院可智旭と号す。
文左衛門は参詣する。

石川兵庫は用務で江戸を出発し、名古屋へ向かう。
倹約の用務を承ると。

先月末のことか前にも書いた山田介之右衛門が逐電したのを、高麗十三郎に命じて探させる。
介之右衛門は十三郎の妻の兄であった。
自分の扶持方手形を偽造して2枚にしたと。
目明し又七という者は助之右衛門とは知らなかったが、怪しい者だったので捕まえた。
無刀で汚い単物(一重の着物)を着ていたと云々。
牢に入る。
駿河町に松尾弾右衛門という浪人がいたが、これも町へ預けられる。
この2人で博奕宿や放火をして盗みを働いたと云々。
弾右衛門は初め高木主計の家老であった。

小普請田中平右衛門が義弟の覚阿弥に乱心で預けられる。
少し前自分の家に放火した者であった。