2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧
宝永3年11月26日。花火停止の廻文がある。
宝永3年11月25日。辰半(午前8時)過ぎ、文左衛門は瀬左へ出かける。頼母子会で1両1分は文左衛門が得て、10両は瀬左が得る。酒などを頂き帰る。日が暮れて文左衛門は半左へ出かける。そば切・吸物など頂き、酒を気持ちよく吞んでいると火事とのこ…
宝永3年11月23日。夜、巾下新道宝蔵寺裏で荒川主馬歩行の者高橋政右衛門が六句村勘左衛門娘を切り殺す。高橋政右衛門父は長者町に住み、半左衛門という陰陽師であった。娘は18歳でよしという名で本妻であった。不届きがあったので殺したと書置し、立…
宝永3年11月21日。不同金の値段が8斗3升、上納金は8斗9升となる。文左衛門は寄合帰りに源右へ出かける。口米帳を確認する。武右・善兵・元右も同席する。津守様(松平義行)衆今城仙右衛門、間鍋茂太夫弟も追放となる。博奕のためとも。あるいは先…
宝永3年11月19日。近頃、文左衛門は熊谷女編笠という本5冊を見る。6月7日の京堀川敵討のことが書いてあった。敵の名は宮城伝兵衛と云々。救民天徳地福伝2冊のいう書を見る。(後略)
宝永3年11月16日(ママ)。9日に厩が焼けた際、万一のために又蔵宅では武兵衛を庭へ出して逃げ出す準備をしていた。そのうち武兵衛はひそかに椵(椴、とどまつ?)の木に登った。人々は見失ったと大騒ぎとなった。そのうち見つけ出してなだめて下ろし…
宝永3年11月15日。近藤武兵衛が又蔵宅で切腹となる。同政之右衛門も切腹となる。揚り屋の庭で地面に筵を敷き、その上にへり(縁)取、布団を敷き、3方に脇差を据え置いた。横井新蔵足軽大田平右衛門が人を準備する。塀和(垪和はが)左平は滝川弥一右…
宝永3年11月13日。文左衛門は昼から曽右へ出かける。いつもの会のため。夕飯後、源太左のほかは残らず本町へ金魚を買いに出かける。夕暮れに帰り、また曽左へ寄ると、源太左もいた。夜食を頂く。戌(午後7時)過ぎて帰る。
宝永3年11月10日。名古屋4月の祭礼で宮町と駿河町は今まで一緒に石曳を出していたが、この度石引に替えて竹生嶋にする。駿河町は一緒のやることを嫌って七福神の練物にしたいとこの日願い出る。
宝永3年11月9日。戌刻(午後7時)、厩で火が出た。文左衛門は城へ出かけ、亥刻(午後11時)におさまったので帰った。長屋が焼けたが、門などは少々焼け残った。焼け残った木柱を入札で1分1朱で売り払った。神君から譲られた蟹の鞍、その他鞍・鐙(…
宝永3年11月3日。少し前、奥平段右衛門召仕が江戸において構(追放)との届けがある。請人は古井村におり、建中寺の百姓であった。近頃、盲人小頭6人が申し合わせて、仲間の知野(最初は政都)のことを霧山に訴えた。多渡都などが首謀者であった。しか…
宝永3年11月1日。西風が終日吹き荒れる。薄曇りでとても寒い。夕暮れに風が緩やかになる。子(午後11時)頃、また風が激しくなる。寒気が人を襲う。そして雪が降る。風は段々と緩やかになる。宝永3年11月2日。雪が降る。時々止む。辰半(午前8時…
宝永3年10月29日。夜、荻野三九郎が火達(こたつ)のあたりで若党を手討ちにする。女色(情事)と。
宝永3年10月27日。ためし物が3ツある。うち1ツは隼人正天外の屋敷で切る。少し前のためし物の際に見物人が多く、白刃が前後にひらめいてとても危なかったとのこと。老中が聞きつけられ、次からは堅く無用な見物は制限するようにと。町奉行が同心唯四…
宝永3年10月24日。近頃、大光院開山堂忠吉公馬験(ジルシ)直鉾の2字が大分と破損したので伺いがある。旗奉行平岩瀬兵衛のところでこれを繕う。縁を求めて多くの人が見物する。これは関ヶ原の陣に持たせたものである。
宝永3年10月23日。但馬守様(松平友著)目付3人が喧嘩する。但州様田ヶ窪の新宅が出来上がり、来る26日に移徙(引っ越し)することとなっており、役人などでは先立って引っ越す者もあった。目付古参馬医の子で新宅に住む近藤義右衛門という者が仲間…
宝永3年10月16日。行赦が3人ある。うち1人は少し前に亀尾天神の釜を盗んだせこ(勢子)。2人は町へ立ち戻った者。
宝永3年10月13日。代官水野文四郎が語ったこと。濃州多芸郡大野村へ江戸から座頭がやって来た。19歳の小座頭でケイシとかいう。いろいろと奇妙なことがある。百姓が刀を出して試してみる。座頭が探って言うには永正介定だと。また脇差を見て藤嶋友重…
宝永3年10月10日。三州岡崎町老岡本兵蔵の子は当年10歳で、名は竹麿という。去年上野の役者が諸国を回った際、竹麿は9歳で漢文を上手く書き、経書そのほか文選などまで声に出して読みあげた。稀に見る才能のため、諸国を回った後で日門様に申し上げ…
宝永3年10月8日。瑞竜院様の法事のため物静かにとの廻文が来る。15日に文左衛門の仲間は寺に詰めるようにとの廻文が来る。
宝永3年10月6日。辰(午前7時)前、瀬左へ誘われ、鴨・酒などを頂く。その後大曽根へ天目伏せに出かける。未(午後1時)過ぎに帰る。少し前から三州のうち松平主水の領分では竜巻が起こり、強風が吹き、民家を壊すと。
宝永3年10月5日。この日から七日の朝まで性高院で松寿院様の法事を出雲守様(松平義昌)から仰せ付けられる。公の役人に手助けを頼まれることはなし。7日の朝、公から名代を成瀬修理が勤める。香典20枚、修理はその時転びそうになると。津守様(松平…
宝永3年10月4日。万三郎様の縁組が言いつけられる。同9日に建中寺へ津守様(松平義行)から使いがある。瑞公・泰公へこのことを報告する。
宝永3年10月3日。五十人目付蘿木定平治は先月28日に名古屋を発ち、三嶋に宿泊していた。この日の明け方に宿を出発する時になってにわかに鑓持ちを切り殺し、若党には刀傷を負わせ、中間を追い回した。定平次はすぐに宿に声をかけて荷物を預け、死人を…
宝永3年10月1日。辰半(午前8時)から文左衛門は政右・伝太・甚五右と西条村孫三郎のところへ出かける。文右衛門・庄兵衛も一緒に出かける。孫三郎兄山田伊左衛門は先に出かけており、この者が案内をする。夕飯は二汁・三菜。夜食は新そば切。間嶋明眼…
宝永3年10月8日。卯半(午前6時)から雨が降る。戌(午後7時)過ぎに止む。その後晴れる。宝永3年10月9日。晴。宝永3年10月11日。わずかに雨が降る。巳(午前9時)過ぎからジメジメする。申半刻(午後4時)から止む。夜、晴れる。宝永3年…
宝永3年9月29日。天王坊へ傷を負った者の詮議との廻文がある。昨28日、江戸において竹腰兵部が大樹(将軍)に初めて跡目の御目見えをする。時服は5着。15枚の刀・金・馬代を献上する。先日、殿様へ跡目の礼の際は15枚の刀・遺物、掛物を献上する…
宝永3年9月29日。天王坊へ傷を負った者の詮議との廻文がある。
宝永3年9月27日。巳刻(午前9時)、双親がやって来て、妻を娶る。祝義の強飯・吸物・酒などが出る。謡曲、祝万歳が行われる。尊父から小名吉十・尊母から綿・瀬左から鱸(すずき)3本・源太左から小鱸3大鯒(こち)2。その他にも親類たちから追々肴…
宝永3年9月21日。日の出頃から文左衛門は加兵と大曽根下へ天目伏せ(漁の方法)に出かける。酒など頂き、楽しく過ごす。未(午後1時)前に帰る。