名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ズルをすればバレますよ

元禄4年2月。御蔵へ悪米を多く詰めて置いてあった。これを調べて岐阜屋忠兵衛・鉄砲塚町左平次・六軒出来星吉左衛門・納屋喜太夫を召し捕る。2月29日夜、牢に入る。

跡部さん、ちゃんと補償しないと

元禄4年2月22日。亥刻(午後9時)過ぎ、三ツ蔵筋跡部又兵衛屋敷から火が出る。中之町土屋左之右衛門家へ燃え移り、共に焼失してしまう。

恵心って源信のことですよね

元禄4年2月11日。大森寺念仏堂にどこの国のものとはわからない箱に入れて恵心作の木像が置いてあった。調べるてみるとやがて使いの僧が来ると、日雇らしき者は帰ってしまう。詳しくは元禄11年の追記に。

出血多量か

元禄4年2月11日。金神の方に薪小屋を作るために(竹腰)龍助上屋敷で雇っていた大工がくるぶしを釿(ちょうな・手斧)で切ってしまったので駕籠で家へ帰す。するとそのまま死んでしまう。親には金1両を与え取らせる。

にぎやかだろうな

元禄4年1月29日。若宮で勧進能が始まる。2月14日に終わる。

死因は何だろう

元禄4年1月24日。熱田の(竹腰)龍介別宅前に腰の抜けた老婆がいた。調べると兵太夫と申す禰宜の召仕のようで駕籠で引き取った。ところが、27日に大薬師堂のそばで死んでしまう。このためまた調べがある。

隠れたくなるような失態

元禄4年1月23日。小山市兵衛が門前で馬を乗りならしていたところ馬を取り逃がしてしまう。殿様が万松寺からお帰りの際、御挟箱(衣装箱)手がこの馬を押さえ、評定所へ引いてゆく。このことで市兵衛は少しの間逼塞となる。

いつの時代の酔っぱらいは面倒

元禄4年1月15日。伊藤宇左衛門召仕牛平が久屋町安左衛門と申す者のところへ使いに出かけた。するとその家で酒に酔っぱらった伏見町酒屋六尺(下僕)が脇差しを抜いて牛平に切りつけようとしたので、牛平はすぐにそれを取り押さえる。ちょうどその時、町…

恨みでもあったか

元禄3年12月7日。夜、七曲の山村浅之右衛門門前で杉立竹右衛門を平岩甚兵衛が切って立ち去る。

ふたりとも乗馬は得意でなかったか

元禄3年12月1日。納屋で阿知波加右衛門が落馬する。この馬が逃げ出して津田又六の馬と鉢合わせする。又六も落馬して少し怪我をする。

だけど盗んでるんですよね

元禄3年11月20日。杉ノ町通、久屋と鍛冶屋町の間南側の中ほど畳職人の親子が住んでいた。父は兵左衛門という者でとても貧しい暮らしをしていた。近頃、その子どもが隣家に入り、衣服や食べ物を盗むと云々。町奉行は孝行での犯行だとして金子等を取らせ…

徳光弥兵衛さん、いろいろありますね

元禄3年11月20日。徳光弥兵衛甥田頭権平の草履取が法花寺町本立寺の地子である豆腐屋と喧嘩する。ふたりとも死ぬことはなく、豆腐屋は鮎川藤助のところへ立ち去る。草履取は弥兵衛のところへ引き取る。豆腐屋、昔は米屋で市左衛門という者であった。

具足を落として気づかないのか

元禄3年11月9日。徳光弥兵衛召仕が在所へ行く途中、折津あたりで具足を拾う。滝川彦左衛門から詮議がある。

神のご加護はどこへ

元禄3年11月9日。平田屋惣助のところへ土佐国の者が巡礼に来ていて死んでしまう。惣助のところから土佐へ飛脚を遣わし、返事が来るまでの間は死体を塩漬けにする。

パッとしない泥棒さん

元禄3年11月9日。夜、山本甚五左衛門土蔵に盗みが入る。これを捕まえ、翌日町奉行へと渡す。

傷つけたのは六右衛門の子だよな

元禄3年10月26日。石川六右衛門の幼い三男が町人の子を少し切って傷つける。その母が六右衛門のところへ傷を負った子を連れて来てので、市川文左衛門に手当をさせる。その上、町人は町奉行に伝えたので町人は叱られる。

川をあまくみてはいけない

元禄3年10月26日。味鋺川の淵で伝馬町の馬子と荷を背負った馬が溺れて死ぬ。

かなりの恨みがあったのか

元禄3年10月26日。駿河町で大田一郎右衛門の手代弥五右衛門という者の娘を、長屋安左衛門若党が切り殺す。その上娘の姉と母にも傷を負わせる。母も20日ほどしてから死んでしまう。若党はその場で自殺する。

これも何をしでかしたのかな

元禄3年10月9日。雲州様(松平義昌)御中間頭が野田浜右衛門の屋敷で取り調べを受ける。その後、成敗となる。かつ浜右衛門に預けとなる。御草履取にも浜右衛門が申し上げて暇を出すが、召し帰されて取り調べの上追放となる。

九郎左衛門、これは困った

元禄3年10月5日。夜、五十人上野九八郎が木村九郎左衛門の家で自殺する。

怪しすぎる

元禄3年10月5日。宵、高間新八弟の六郎様(松平友重)衆高間新右衛門が道に迷ったといって竹腰紋太夫の裏へやって来る。三次郎裏口の通りで三治召仕の女にここを通してくれと頼む。伊藤清兵衛が出てきて、門太夫のところへ行くとのことだったので通す。…

親が口出しすることではない、ちなみに淵龍院ではなく圓龍院では

元禄3年9月20日。荒子の淵龍院仁王門の脇で男が女を切り殺して自殺する。男は荒子村の百姓の子でこの女を女房にと思うが、親は許してくれなかった。そのため切り殺したと。

危うく罪人になるところ

元禄3年9月20日。夜、小林で女が切り殺されていた。女は大沢無手右衛門中間の女房であったが、この6月に暇を出されていた。懐中には暇状もあったが、夫の中間も調べられると。無手右のところに番をつけて置かれる。その後質屋を調べると、本間太左衛門…

一体何をしでかした

元禄3年9月5日。牧野勝左衛門を磯貝伝太夫に御預けとなる。18日夜、篠島へと送られる。

親の助けられたバカ息子

元禄3年7月27日。夜、岩間平蔵が、江戸より帰り着く。代わりの者を遣わされ、呼び寄せられる。翌28日、水野弥次太夫の家で仰せ私がある。数々の不行届は困ったことであるが、父左五右衛門が御部屋住の頃から奉公しているのでかわいそうと思われる。御…

光友が生母のために建てた寺です

元禄3年7月26日。大森寺常念仏堂の造営が終わる。8月12日に入仏供養が行われる。留永甚太夫が御名代を勤める

長寿尾張一、いや日本一かも

元禄3年7月26日。御器所龍光寺末寺浄元寺の庫裡姥正念が御城へ呼ばれる。二の丸で殿様にも会われる。弘治1年(1555年)生まれでこの年136歳と云々。金2分・晒1疋が下される。

思わせぶりな書き方

元禄3年6月。平田屋が逼塞となる。女房のことで。

権斎はいい人ってことなの

元禄3年6月30日。御上国御礼の使いとして渡辺半蔵が江戸へ下り、使いを終えて江戸より帰り着いたこの日の朝、茶道坊主権斎を掃除坊主金斎が切り殺し、塀を乗り越え野崎源五右へと立ち去る。その昔、権斎は半蔵に目をかけられており、娘も奉公に出してい…

ご栄転

隼人正歩行でまたの名を用馬次郎右衛門という者は高須に知行があったが、近年落ちぶれて昨年暇をもらい、大光院を頼って剃髪し、庫裡で道心(仏門に入った者)として暮らしていた。去年の冬、西国巡礼に出かけ縁者のある讃岐高松を尋ね逗留していると、その…