名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-08-15から1日間の記事一覧

傷つけたのは六右衛門の子だよな

元禄3年10月26日。石川六右衛門の幼い三男が町人の子を少し切って傷つける。その母が六右衛門のところへ傷を負った子を連れて来てので、市川文左衛門に手当をさせる。その上、町人は町奉行に伝えたので町人は叱られる。

川をあまくみてはいけない

元禄3年10月26日。味鋺川の淵で伝馬町の馬子と荷を背負った馬が溺れて死ぬ。

かなりの恨みがあったのか

元禄3年10月26日。駿河町で大田一郎右衛門の手代弥五右衛門という者の娘を、長屋安左衛門若党が切り殺す。その上娘の姉と母にも傷を負わせる。母も20日ほどしてから死んでしまう。若党はその場で自殺する。

これも何をしでかしたのかな

元禄3年10月9日。雲州様(松平義昌)御中間頭が野田浜右衛門の屋敷で取り調べを受ける。その後、成敗となる。かつ浜右衛門に預けとなる。御草履取にも浜右衛門が申し上げて暇を出すが、召し帰されて取り調べの上追放となる。

九郎左衛門、これは困った

元禄3年10月5日。夜、五十人上野九八郎が木村九郎左衛門の家で自殺する。

怪しすぎる

元禄3年10月5日。宵、高間新八弟の六郎様(松平友重)衆高間新右衛門が道に迷ったといって竹腰紋太夫の裏へやって来る。三次郎裏口の通りで三治召仕の女にここを通してくれと頼む。伊藤清兵衛が出てきて、門太夫のところへ行くとのことだったので通す。…