名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

かなり大きな風水害

正徳1年8月20日。
6月4日から8月23日まで諸国の大風による損亡を集めて記す(愛知分以外は略)。
一 松平主水4千石三州西郡。
8月23日酉刻(午後5時)から丑の刻(午前1時)までの風雨で塩が入り込み損亡する。
田畑3407反(1反は約1000㎡)7畝に(1畝は役100㎡)塩が入る、このほか強風での被害は数知れず。
塩浜は4ヶ所。
破損の船は62艘、この他漁船も多く破損する。
主水宅は少々破損する。
侍屋敷で潰れたところは12軒、この他の侍屋敷は残らず破損する。
町で潰れた家は413軒、内潮でつぶれた家は30軒、半壊は80軒。
寺社は残らず破損する。
女4人が死亡、怪我は男が6人。
傷ついた馬は2匹。
この他堤防の決壊は多く、倒木などの数知れず。

一 水野監物5万石三州岡崎。
8月23日夜の風雨で損亡する。
城内で石垣が4ヶ所崩れ、石垣がふくれたところが1ヶ所、土居が崩れたところが3ヶ所、倒れた塀が90間(1間は約100メートル)。
つぶれた家が165軒、侍屋敷・足軽小屋・町や村の家と併せて、半壊447軒。
城内の柵木は76間吹き倒れる。
水が入った地は6千2百石、倒木783本、堤防決壊15ヶ所、井関の崩壊15ヶ所。
男2人、女2人が死亡。
往還脇から城内へ通る菅生橋の高欄左右で100間あまり吹き倒れる。
この他村の土橋20ヶ所が落ちる。
洪水であったが矢矧橋は異常なし。

一 牧野大学三州吉田8万3千石。
8月23日夜、風雨で損亡する。
歩行の家12軒潰れる、足軽小屋243軒潰れる、城下の町家が13軒潰れる。
城下3197軒がつぶれる、流失した家は324軒、半壊は1724軒。
田畑の被害は2万千3百石6斗7升3合。
漁船の流失87艘、堤防の決壊3243間、流失した土地5ヶ所。
往還の並木198本、根から折れた松は周り1尺(1尺は約30センチ)と周り5尺のもの。
本坂海道並木89本、根から折れた松は周り3尺、5尺まで。
村で倒れた松は3424本、流失した橋6ヶ所、潰れた寺4軒、内1軒は半壊。
男16人、女23人が死ぬ、怪我人は9人。
死んだ馬は2匹、怪我した馬は2匹。
荒井付(村?)潰れた町家31軒、内半壊12間(軒?)、村で潰れた家39間。往還の並木21本、根から折れた松とともに周り2尺から8尺まで。