正徳1年8月25日。
早朝、飛騨守は家来を多く連れ、旅装束で馬も2匹率いて登城する。
半時(約1時間)ほどして出てくる。
坊主衆に直ちに寺部へ行こうと思ったが、気分が少しすぐれないので屋敷へ帰るのでいつものように迎えに来るようにと云々。
何事かわからなかったが、翌26日急に二の丸様が御下屋敷へ密かに戻る。
女中は1人も城に残らなかったと云々。
城中表向き女性を置いたのは松院様・勘解由小路様・梅昌院であって、いずれも訳があってのことで公儀へ内々には伝えてあったと云々。
この度のことは訳もなく内々でもないことだと
このため公儀老中は靭負殿を詰問すると云々。
三村周蔵の役替もこれによるのかと。