名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

久四郎の仲間はどれだけいるんだ

宝永3年4月30日。小万物、浄瑠璃語りの駿河町貴八郎が町内へ預けられる。久四郎と同類であった。その他、桜町筋で牢人の淫女が預けられる。

何が書いてあったのでしょうか

宝永3年4月26日。先日寺社奉行・国奉行・町奉行へ言いつけられた諸奉公人・請人・そのほかへの定めの書付が、この日目付方から家中に触れられる。

甚兵衛、残念

宝永3年4月25日。大和屋甚兵衛の狂言・芝居が三州池鯉鮒でこの日から始まる。名古屋芝居・和泉屋十三郎芝居がとてもあたり、甚兵衛を圧倒する。

さびしさが漂う出来事

宝永3年4月24日。この夜、宮町で太兵衛という町人の子が自害する。恋と貧しさのため。

奥田弁右衛門って良い人です

宝永3年4月23日。近頃、江戸において五十人組奥田弁右衛門召仕が乱心する。髪を切り、麹町の寺へやって来て出家を望む。様子がおかしいので弁右衛門に知らせると、弁右衛門が引き取り、尾州へ戻そうとする。小身のため判断をあおぐが、そのような例がな…

どうも召し抱えられた侍は怪しい

宝永3年4月21日。和州郡山牢人原田八右衛門が40石に5人扶持を下される。馬廻りに玄蕃殿宅で召し抱える。昨年春、八右衛門は話題になっていた。長久寺にやって来た赤穂の牢人で、40貫目の鉄砲を杉の木筒で打つ者だと。この度は鉄砲ではなく、軍学の…

また穏便です

宝永3年4月20日。近江守卒去につき、25日まで物静かにするようにとの廻文がある。

これも東照宮祭ですね

宝永3年4月17日。行赦がいつも通り行われるはずだったが、罪人がないので1人もなし。上町の警固(行列)の後ろに1間(1間は約1、8メートル)に4尺(1尺は約30センチ)の数寄屋(障子に張る美濃紙)を担(ツラ)す。伝馬町警固の後ろに6尺四方…

東照宮祭の季節です

宝永3年4月14日。中市場町・伝馬町の祭礼車引きが始まる。宝永3年4月15日。本町・長者町・上畠などの車引きが始まる。宝永3年4月16日。舞楽が例年通り行われる。名は前に見える6番。七間町・桑名町・宮町の車引きが始まる。そのほかあちこちで…

酔っぱらいは困ったもんだ

宝永3年4月10日(ママ)。成瀬隼人正上屋敷で楽人を集め、舞楽が行われる。巳上刻(午前9時)に始まり、未刻(午後1時)に終わる。(後略)紙漉市右衛門召仕とか手代とやらに半六という者がおり、紙漉が巧みであったので常々やって来ては手伝っていた…

悪ことはできませんよ

宝永3年4月6日。御屋形で寺尾頼母願いの通り隠居を仰せ付けられる。これは少し前に親類から願い出ていた。3000石のうち1500石は弟の悦之助に下される。その夜、頼母を下屋敷に遣わし、座敷牢に入れる。この牢は以前から造ってあった。一両日前、…

これもパワハラか

宝永3年4月4日。近衛前殿下が熱田に泊まられる。3月に江戸へ向かわれ、今は京に戻られる途中で、殿上人山形修理太夫・諸大夫近藤筑後守・同修理権充・杉崎右京権充・斎藤左京権進など供は上下200人ばかりと云々。公からの使い芝山外記、馳走荒川次郎…

哀しい話は受けるんですよ

宝永3年4月2日。熱田大宮の鏡を磨(すま)し、簾を新たに調える。昨1日未刻(午後1時)過ぎ、京鳥部山妙伝寺の隣の墓所で、名古屋伊倉町貴道平兵衛の子源助という者が濃州加納の医者の娘21になるもんを連れて来て刺し殺し、自分も自殺しようとするのを…

断れるはずもないですよね

宝永3年4月1日。役人方不如意(財政ひっ迫)につき、金を貸すことになるので町中の富商に1割(8分の利息)で金を差し出すようにに申し渡せと年寄衆から町奉行に命じられる。奉行は以前借りた金を返してもいないのにこれはいかがなものかと思いやるが、…

宝永3年4月の天気です

宝永3年4月1日。空が陰る。巳刻(午前9時)、雨が少し降るが、また止む。夜から雨が降る。夜は激しい雨となる。深夜から晴れる。宝永3年4月6日。晩、空が陰り、翌日まで大雨となる。宝永3年4月7日。朝から大雨となる。申刻(午後3時)雨が止む。…

高須からこのルートで名古屋へ向かったんですね

宝永3年3月28日。津候(松平義行)が高須を発駕される。甚目寺通りから日比津へ向かい、納屋橋から天王崎を通り、性高院に立ち寄る。松寿院様牌前に参詣し、ついでに薩摩様牌を拝礼する。蕎麦切が出される。それから東輪寺へ寄られ、蕎麦切が出される。…

完成です

宝永3年3月26日。熱田西門の葺き替えがこの日出来上がる。丹塗(社寺建築の赤い塗料)、金物を磨く。

口達者は才能ですね

宝永3年3月25日。平尾伴太夫は申し開きができて許され、前のとおり扶持方を下される。しかし少し前、伴太夫の女房を呼び寄せて詮議があった。諸士の女房を揚屋へ呼ぶのは初めてのことであった。役人は問いかけた。美しい服を着用し、時には僕も連れずに…

コネって恐ろしいなあ

宝永3年3月23日。都筑元右衛門が江(ママ)天遊の娘である妻を離別する。元右衛門の母は智光院家来鬼頭円右衛門という若者と密通しており、いろいろなことがあった。嫁のことを憎み、元右衛門をもいたぶり、そのため元右衛門はまるで病気のようであった…

皆をだまして参宮するふりをしたのか

宝永3年3月21日。今年春、千賀志摩組水主守見(モリミ)三左衛門の子で17歳になる七三郎が船に同船して江戸へ向かった。2月14日、公が八町堀の屋敷に入られ、七三郎の歌を聞いて気に入り、連れ帰られて禄を賜う。今月14日に13石を下される。小…

これも接待ですね

宝永3年3月16日。伏見殿の姫君が熱田の御殿に泊まられる。申刻(午後3時)に到着される。馳走は大久保惣右衛門で、佐屋まで送られる。船長屋六左衛門が出向く。

12日の浪人牧野にからんでか

宝永3年3月15日。町中に諸士家来で浪人がいるようならば申し出るようにと。牧野の例からのこと。

また酔っての醜態

宝永3年3月12日。昨11日の夜戌(午後7時)、長久寺筋熊井十次郎屋敷向かいの新屋敷の塀際水道で近江守中間1人が切り殺されていた。同僚4人でかやや(萱屋)町の宿で集まって酒を飲み、大声で騒いだので亭主がなだめて帰る途中で口論となりこの如く…

文左衛門、京都へ出張です

宝永3年3月11日。寅刻(午前3時)前、文左衛門は尾張を出発し、京へ向かう。佐屋まで駕籠で430文。法界門のあたりで夜が明ける。

急いでの恩賞

宝永3年3月4日。性高院三品前羽林中郎将憲瑩玄伯公の法事が行われる。大雄山正覚寺性高院で仰せ付けられる。寺社奉行が出かけ、名代はなし。白銀50枚を法事料として下される。上人は13人、方丈ども出僧は40人。薩摩様衆の子孫は自由に参詣してよい…

宝永3年3月の天気です

宝永3年3月2日。雨が降るが、未(午後1時)過ぎに止む。その後、晴れる。宝永3年3月3日。辰(午前7時)頃少し雨が降って止む。その後、晴れる。宝永3年3月5日。日が暮れて雨が降る。稲妻・雷鳴が数度。そのうちひとつは地を揺らす。しばらくして…

興行は博奕と同じ

宝永3年2月26日。橘町で勧進能が行われる。大夫は小松六郎左衛門、ワキは三宅十郎左衛門・吉田伝右衛門。観客は少ないと。

夫婦で悪行

宝永3年2月18日。3人扶持御目見平尾伴太夫は妻の行いがよくなく、伴太夫自身も無法が過ぎると評定所東揚屋に入る。

仏の道も人事異動

宝永3年2月17日。坂崎佐右衛門は行いがよくないため親類に預けられる。跡部仲右衛門も父元右衛門に預けられる。これも行いがよくないため。ただし、厳しい処罰ではなく、行いを戒めるためのもの。近頃、大津町清浄寺へ遍照院が住職として入る。これは創…

いつの時代も酔っぱらい

宝永3年2月16日。大須で大工の弟子が酒に酔って脇差を抜き、すぐに捕らえられて預けられる。