宝永3年4月6日。
御屋形で寺尾頼母願いの通り隠居を仰せ付けられる。
これは少し前に親類から願い出ていた。
3000石のうち1500石は弟の悦之助に下される。
その夜、頼母を下屋敷に遣わし、座敷牢に入れる。
この牢は以前から造ってあった。
一両日前、大津町借宅の町奉行支配の柳屋三郎兵衛、大須地子の寺社奉行支配の五十嵐甚左衛の2人は、昨年冬近江の穢多という不束者を金貸しと偽って竹腰近江守家老などに引き合わせた。
小田源太左衛門に滞在していたが、ことが上手く運ばず、町奉行はこの金貸しを追い払った。
近頃、寺社・町両奉行に命じて柳屋・五十嵐屋2人を城下を追い払う。
この者は2、3年前、南都大仏の棟木を伊勢下宮の山から調達すると申し出ていた。様々なことがあったが、やはり神罰がこの日下った。
ああ。