名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

跡目の相続も偉くなると大変ですね

宝永3年5月25日。
竹腰兵部上屋敷へ玄蕃主水が出かけ、御意の趣の書付を渡す。
江戸から申し来た趣の書抜。
一 竹腰近江守死去に付き、跡目のことを申し上げたところ近江守知行ならびに預けの同心、屋敷などまで相違なく同姓兵部へと仰せ付けられたので万事近江守の通りに務めるようにと御意がある。座席のことは成瀬隼人正の次座にと仰せられたとの言いつけがある。またほかの事については35日過ぎてから仰せ付けられるとの考えである。35日過ぎればすぐに各のうち両人が兵部宅へやって来て、定め趣を申し渡されるとのこと。もっとも跡目を言い渡されれば兵部の忌は御免となる。
一 兵部のこと、近江守50日を過ぎればすぐに知行地へ帰るようにと言いつけであるが、屋敷などの作事が終わっていないので急がず作事を行い、でき次第急いで戻られるようにと。また兵部の継目の礼は知行地に戻ってから申し上げるはずである。跡目を言いつけられたので使者を遣わして礼を申し上げるように。
一 兵部のことは在所今尾へ行くように申しつけられれば、今尾へ行くようにと聞き及んでいる。
以上。
この日、家老竹腰善右衛門が令に江戸へ発つ。