名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今の犬と違って、ちょっと前まで犬は怖い動物だった

文化11年(1814年)。
1月。
1月1日、晴天。
三ケ日、御祝詞、御目見が先例の通り行われる。

3日夜、御謡初が行われる。
四海楼 シテは左門。
老松 シテは左門、鼓・笛は孫三郎、四郎兵衛、猪左衛門、惣八。
東北 シテは六郎、鼓・笛は正七、宗右衛門、六郎兵衛。
高砂 シテは六郎、鼓・笛は惣吉、伝兵衛、又兵衛、清九郎。
弓矢立合 両人、鼓・笛は権蔵、市太夫、久右衛門。
以上。

25日から大須でチンコ芝居の興行が行われる。
傾城桟物語を上演する。
立は坂東氏五郎。
同、嵐三津五郎。
立は浅尾奥三郎。
敵は山下女六。
敵は浅尾元五郎。
敵は市川兵次。
敵は谷村花九郎。
悪は谷村楯九郎。
形は中山きんし。
形は嵐安之助。
形は谷村幾久松。
形は芳沢ゆうじ。
その他略す。

清寿院で芸子芝居の興行が行われる。

去年12月末頃から納屋裏あたりに喰付犬(野良犬)が現れる。
多くの人に噛みつき、夜は往来も絶える。
役所から犬殺しを言いつけられ、数十人の人夫でこれを突き殺そうと大勢で取り囲むと犬は飛び上がり、高塀・屋根、あるいは川などを飛び越えて行方を見失う。
噂では狐の子を食べたので、親狐が恨んで犬に取りついたと。
そのため自在に飛び歩くと町では噂する。
この春になってますます人を悩ますので、歩き行く者はとても困る。
しかし、29日に江川下水車のあたりの田で、鉄砲で撃ち殺す。
これを撃ったのは御松明方徳本弥九郎・瀬田助三郎の両人。
鷹狩の際に支障となるので仰せつけられたと。

28日巳の上刻(午前7時半)、笠寺の境内で大松を掘ると、古い行基焼の瓶が見つかる。
その中に宝塔の形の物があり、観音の像がある。
笠寺の僧と村人が相談し、寺社方役所へ長持に入れて吊って持って行き、数日役所で吟味する。
吟味を済ませて帰りに大須の書院で皆に拝ませる。
笠寺の村人が数多く迎えのために幟などを持って大須を参詣し、人が多く集まる。
この宝塔は黄金と。
六角で屋根が蓋のように開き、中には仏像ならびに経文とおもわれる物が一緒に泥のようになって詰まっており、また、屋根の隅々に掛かっていたようでやうらく(瓔珞)があり、七宝で飾ってある。
これも崩れて離れ離れになっていた。
珍しいことである。

2月。
2月13日夜、白林寺方丈から火が出る。
牌堂(碑を守るため上に建てられた堂)・書院・鐘楼が焼失する。
輪蔵(転輪蔵)・宝庫・寺家に被害はなし。
怪しい出火だと噂するが、方丈で誦経の際の香炉の火であったとも。
実はその日、御上屋敷で大法会が行われ、後堂の台子に火が残っており、その火だと。

15日から3月6日まで、門前町安用寺で濃州谷汲本尊、観音模像、開眼供養ならびに霊宝を弘通する。
ただし、本尊は写しであったが、宝物は谷汲山から持ってくる。

17日から大須の芝居で切狂言が行われる。
八重桜廓の水揚、花上野誉の石牌を上演する。

大光院で法花千部会を執り行う。

28日、納屋裏新屋敷の田での宝塔の建立が終わり、渡御される。
これは日蓮宗題目の石塔である。
仮屋を構え、仏幡・幟などそれぞれ厳かで法会を行う。
導師は円頓(えんどう)寺の上人で衆僧を従え、行道誦経が終わって投餅が行われる。
人が多く集まる。

28日から3月29日まで杉村心入寺本尊、明星見釈迦如来を開帳する。
ただし、28日開帳の際に大般若転読が行われる。

丹羽郡入鹿山白雲寺大日如来を開帳する。

智多郡大野松林寺金毘羅大権現を開帳する。

3月。
3月2日、(藩主斉朝)が出発される。
東海道を旅する。

3日から12日まで本重町理相寺で智多郡大野光明寺宝物を弘通する。

同日から16日まで同町常瑞寺で七宝山聖徳寺宝物を弘通する。

6日から26日まで笠寺でこの春掘り出した観音ならびに宝塔を拝ませる。
人が多く集まる。

万松寺で受戒会が執り行われ、繁盛する。
客僧が数千人もあると。
俗の男女、受戒の輩も数多く集まる。
ただし、僧と俗で4000人ほどと、受戒につき施物の決まりはなし。

この頃、犬山の東の畑の中でうわばみ(大蛇)が狐を飲み込みながら死んでいたと、見物人が多いとか。
後で聞くと、濃州鵜沼の山で若者が気晴らしのためにうわばみを拵え、人々に見せて楽しんだと。
その細工がとても素晴らしいと。

4月。
4月2日夜5ツ頃(午後8時)頃、愛知郡米野村で火事がある。
通り筋西の端で大家2軒両側が焼失する。

久屋誓願寺で智多郡寺本の阿弥陀を開帳する。
本尊ではなく前に立つ仏像であったので全く繁盛せず。

先月29日、品姫(八世宗勝娘)君様が亡くなられたので、普請は今月5日まで、鳴物は同18日まで禁止と。

この頃、近隣の村で火事の噂が多くある。
特に西北美濃へ火付が多く入り込んであちこちで放火し、1日1晩で5、6ケ所から10ケ所毎日のように焼失する。
大騒ぎだと。
これは公儀若君竹千代様が誕生されたので、牢に入っていた悪党どもが赦免され、追放となった輩が差し当たって生きる術もないので、村々で放火していろいろと悪さをしたと噂する。

祭礼の車引初めは、禁止中ではあるが例年通り行うようにとの触れが出て、囃子の稽古も許されると。
ただし、引初めの町々に桟敷は遠慮するよう言いつけられ、ならびに賑わう場所での笛などの鳴物を商うことも禁止と。

17日、祭礼が巡行する。
名代は竹腰山城守。
先駈町奉行は田宮半兵衛、藤田市蔵。
御先手頭押乗は三和次郎左衛門、長野与四郎。
祭礼を家中の者が見物に出かけることは許されるが、禁止中なのでよく承知しておくよう触れがある。
このため家中では遠慮する者が多く、桟敷は不入り。

19日から大須の芝居、京都素人芝居の興行が行われる。
立役実悪は中村歌市。
立は嵐道三郎。
立は中村輝三郎など。
女形は田舎廻りの役者。
顔見世座附(顔見世興行)風に行う。
京、笹木連中(顔見世で祝儀として手打ちを行う贔屓衆)で拍子木に三味線を入れて手打ちを行い、面白い。
初めの狂言は仮名手本で終わりに隅田川を上演する。

26日から若宮の芝居で江戸の一座が興行を行う。
出世太平記、恋娘昔八丈を上演する。
立役は花井才三郎。
同、坂東鉄三郎。
敵は嵐此五郎。
同、中村万蔵。
悪は松本武十郎。
立は尾上仙蔵。
敵は嵐三幸。
悪は大谷門蔵。
立役は市川新蔵。
形は山下八百蔵。
同、同弥太郎。
形は中村里好。

この頃、家中全ていずれの役儀も頭筋から与頭(組頭)へ1組ずつ呼び出し、初雛・初幟に親類以外へも客として押しかけて行き、酒を飲んで乱れることがないよう申し渡しがある。
この触れがあるが、また直接与頭を呼び寄せて話がある。
これは今年3月の節句に添地あたりの屋敷で押しかけた客で喧嘩があったと、当日に山口あたり、小林でも同様に酒を飲んでの素行の悪い行いがある。
そのためこの度慎むようにとの命令がある。

(p299~p302)