名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

飛脚の真似をしてはいかんでしょう、鍛え方が違う

宝永5年12月28日。
桑名から乗ってきた船がこの夜熱田まで1里(1里は約4キロ)ばかりのところで潮が引いてしまい、船を岸に寄せることもできず、深夜で迎えの船も来なかった。
中に届ける期日の決まった飛脚がおり、夜明けまで待てないと1人海に飛び込んで歩いて渡った。
これを見て残る者の中から10人余りが飛び込んだが、骨を砕くような厳寒のなかを1里ほど渡ったので3人は凍死してしまった。
残りの者も岸に着いて気を失ったが、焚火にあて、薬などで全員気を取り戻した。
飛脚は少しもひるまず通っていった。
死んだ3人、1人は日光の僧、1人は上御園町瀬戸物屋伊兵衛と八百屋町葺師久兵衛であった。
久兵衛は子殺しの仁右衛門の弟で27日に追放となった者であったので、死体をこちらで請け取り、かまいなしと云々。
桑名から乗って来た船の中で死ねばこちらで請け取らず、すぐに桑名への船に乗り換えさえた。
こちらから出る船であっても同様であった。