宝永5年2月16日。
未半(午後2時)頃、御下屋敷長屋の徳右衛門という者は留守で、長屋には母1人と祖母がいた。
たばこの火が燃え移り火事になろうとした。
すぐに火を消し止める。
徳右衛門は預りになるが、3月7日に無事許される。
昨日、小笠原三郎右宅で吉見兵部に申されたこと。
その方のことで正親町大納言公通殿へ使いを送って礼を言ったが、返事でいまだ伝授できなかったことが多くあるので、上京次第伝授すると云々。
壬正月23日、京で野村瀬左衛門が公通へ使いとして出かけてい
た。
宝永5年2月16日。
未半(午後2時)頃、御下屋敷長屋の徳右衛門という者は留守で、長屋には母1人と祖母がいた。
たばこの火が燃え移り火事になろうとした。
すぐに火を消し止める。
徳右衛門は預りになるが、3月7日に無事許される。
昨日、小笠原三郎右宅で吉見兵部に申されたこと。
その方のことで正親町大納言公通殿へ使いを送って礼を言ったが、返事でいまだ伝授できなかったことが多くあるので、上京次第伝授すると云々。
壬正月23日、京で野村瀬左衛門が公通へ使いとして出かけてい
た。