宝永2年12月16日。
少し前、一位様の屋敷で狐が狼藉をはたらいていた。
このため捕まえることを命じて、女狐1匹を捕まえた。
その夜、老人がやって来て女狐を守り、その場を離れなかった。
子細を問いかけるとこう答えた。
私はこの狐の夫である。
生まれは備前で、家康公の命で100年以上も前に伏見からここへやって来た。
女狐は280歳、男狐は350歳と云々。
鍋嶋信濃守綱茂が国元肥前に戻るので、この2頭の狐を預け備前に届けると云々。
宿々でたくさんの狐が集まることも多かった。
桑名で女狐は病気となり、いろいろと治療するも死んでしまった。
浄土宗と男狐が言うので浄土寺に葬った。
戒名を3つ出して見せると遊林という名を望むと云々。
この間、信濃守は3日桑名に逗留し、早追(急使)で江戸へ知らせたと云々。
信濃守が寺へ銀20枚、桑名城主越中守も銀10枚を遣わすと云々。
男狐は老人の姿になり、人と同じように話したと云々。