名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-11-14から1日間の記事一覧

この後この屋敷はどうなるのでしょうか

宝永2年12月28日。松寿院様上屋敷ならびに日置の屋敷ともに屋敷奉行が請け取る。

主がいなくなれば仕方がない

宝永2年12月29日。近頃(25日のこと)、松寿院様衆にそれぞれ仰せ付けられる。侍は全員小普請になる。歩行目付・歩行以下は残らず暇を下される。医者竹田三益200石、針立渡辺益堅25人扶持ともに表(表番)へ仰せ付けられる。賄頭小池甚六30石…

正遷宮は修理などの終わった本殿に戻ることです

宝永2年12月26日。夜、熱田ならびに八劔宮の正遷宮が行われる。

穏便ですからね、ちなみに節分は年4回あります

宝永2年12月21日。節分。大豆を小声で投げる。乞食もいつもの厄払の祝文を唱えず。

なぜかジーンとくる話

宝永2年12月16日。少し前、一位様の屋敷で狐が狼藉をはたらいていた。このため捕まえることを命じて、女狐1匹を捕まえた。その夜、老人がやって来て女狐を守り、その場を離れなかった。子細を問いかけるとこう答えた。私はこの狐の夫である。生まれは…

年末は何かと入用で

宝永2年12月13日。昼から文左衛門宅で頼母子会が行われる。文左衛門は役料手形8斗7升8合で売払う。5両1分9勺6分となる。

不幸な1年だったってこと

宝永2年12月11日。岩之丞様が亡くなられたので24日まで穏便との廻文がくる。今年はこれで7度目の穏便である。

面倒見のいい友だちだ

宝永2年12月10日。少し前、権田五左衛門が結采(結納)の祝儀を建部四郎左衛門のところに遣わした。その後山崎藤兵衛・相原弁左衛門・雑賀伴六もやって来て酒を飲んだ。帰る時に2人がはなはだ酔っていたので藤兵衛はひそかに後をついていった。2人は…

さあ、年末に向けて稼ぎましょう

宝永2年12月3日。巳半(午前10時)過ぎ、市郎左へ文左衛門は出かける。頼母子は加兵・半九が得る。

これは何をしに行ったのかよくわからない、穀は穀物に関することだと思うのですが

宝永2年12月2日。馬廻内藤勘之丞が江戸へ出発する。金ならびに穀印のため。例のごとく足軽6人が随う。

宝永2年12月の天気です

宝永2年12月4日。夜、風が吹き、わずかに雪が降る。宝永2年12月5日。晴。昼前後雪が降って止み、晴れる。宝永2年12月6日。夜、わずかに雪が降る。宝永2年12月8日。夜半過ぎから雪が降る。寒さが厳しい。宝永2年12月9日。雪が降り、積雪…