宝永2年12月10日。
少し前、権田五左衛門が結采(結納)の祝儀を建部四郎左衛門のところに遣わした。
その後山崎藤兵衛・相原弁左衛門・雑賀伴六もやって来て酒を飲んだ。
帰る時に2人がはなはだ酔っていたので藤兵衛はひそかに後をついていった。
2人は狙われたと思い、すぐに刀を交えようとした。
藤兵衛はこれをなだめて落ち着かせようとした。
その後2人は法花寺町の堀へ飛び込み、冷たい水が気持ちいいと強がりを言った。
その上、組み合って倒れてしまった。
藤兵衛も同じように飛び込み、2人を惹き分けて大小を取り上げ自らの腰に挟んだ。
この時提灯を持って通る侍があったので藤兵衛はこの者に助けを求めるが、この侍は振り帰りもせずに去っていった。
その後ようやく堀から上がって先へ進んだが、駿河町で夜番の提灯を放り投げた。
このため助けを求めて棒すくめにした。
藤兵衛がこの2人は泥酔しているのでこれ以上騒ぐのはやめてくれと言った。
このことでお前たちが後日迷惑するようであれば自分が申し開きをすると。
自分は山崎藤兵衛だと云々。
2人も名乗った。
藤兵衛は2人は名乗ったがこれは本当のことではないと言った。
自分が名だけを記しておくと云々。
駿河町で藤兵衛は日雇いを雇い、雑賀の家へと遣わした。
これにより雑賀右衛門がやって来て連れて帰る。