名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

主がいなくなれば仕方がない

宝永2年12月29日。
近頃(25日のこと)、松寿院様衆にそれぞれ仰せ付けられる。
侍は全員小普請になる。歩
行目付・歩行以下は残らず暇を下される。
医者竹田三益200石、針立渡辺益堅25人扶持ともに表(表番)へ仰せ付けられる。賄頭小池甚六30石3人扶持、平野茂右衛門33石3人扶持はともに小普請組となる。
侍役日比野竹右衛門30石5人扶持、大脇所左衛門25石5人扶持、林半兵衛20石6人扶持、横山善左衛門20石5人扶持、各務八兵衛・伊藤新八20石5人扶持は小普請組となる。
足軽のうち2人は今まで8石2人扶持であったが4石5斗で飼殺となる。
1人は台所人、1人は屋敷奉行であった。