名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これもお見事な消火活動、そして丸岡騒動の続き

元禄8年2月9日。
曇。
昼前から小雨が降り、その後本降りとなる。
巳刻(午前9時)、巾下寿命丹後の家から火が出るが、すぐに消し止める。
先月21日もしくは29日のこと。
飛騨守家老本田刑部・同源五右衛門は国元を立ち去り、美濃に蟄居していたが、近頃調べがあると聞き、2人とも江戸へ向かった。
浅草川に船をつけ、昔からの仲間へ人をやって言うには「2人でやって来たが、どこへ向かえばよいのか。」
すぐに飛騨守に知らせると飛騨守屋敷へ来るように言われる。
すぐに迎えの小舟に乗って、2人に口上を伝える。
2人が言うには「急いで参上する。先に行ってくれ。」
迎えの者を先にやらせて、その後共に自害する。
正月27日、原五右衛門・刑部は江戸汐留橋あたりで2人で刺し違えて船中で死ぬ。