正徳2年5月24日。
卯(午前5時)過ぎ、文左衛門は宿を出発し、四日市まで歩く。
道がとても悪く、四日市から桑名まで乗る。
十蔵のところで弁当を食べ、午半(午後0時)頃、船2艘に乗る。
帆を開くと風がよく、船は速く進む。
未(午後1時)過ぎに熱田へ到着し、弥四郎召仕が迎えに来ていた。
文左衛門は歩いて申(午後3時)過ぎに帰宅する。(後略)
少し前、大坂から岡崎道可という碁打を飛騨屋七兵衛という熱田の町人が呼んできて手元に置いていた。
先の碁(定先の碁)では天下で28人の打ち手であると。
初めは越後の浪人で、その父は千石ほどとっていたと云々。
猪飼喜入に2つ、垣沼甚左には3つで打った。
七兵衛は役人に取り入るために呼び寄せた。
星野七右などは碁を好んでいた。