正徳2年5月22日。
玉置豊三郎の知行・家屋敷を召し上げ、同名右膳に預ける。
百人扶持を下されるよう願い出たことでこうなる。
乱心同様の悪行をいちいち記しはしない。
この春も実母を切ろうとして少し傷つけると。
豊三郎は19歳で半元服(略式の元服)であった。
豊三郎の兄は本妻の子で、豊三郎の母は妾であった。
嫉妬して嫡家の乳母にかなり金を与えて人形を作り、針で貫き、いろいろと呪いをかけ、その上妾自ら津嶋へ丑時参りを行ったと云々。
程なくして嫡子は死んでしまった。
その後乳母も煩い、全身が痛むことに絶えきれず娘を呼んで密かに告白した。
病になったのはかつて金に迷い、人の道に背く行いをしてしまったと話し聞かせた。
このことを本妻は伝え聞いたけれど、済んでしまったことを咎めはしないと見過ごしたが、妾はかえって猛々しく罵ったと云々。
巻末も見るように。