名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

正徳1年5月の徳川吉通の動向

正徳1年5月5日。
5つ半(午前9時)、供揃えが行い、巳(午前9時)過ぎ、長上下で建中寺を参詣する。廟、霊屋、瑩珠院様、守殿へも参詣する。
正徳1年5月7日。
明け方寅(午前3時)前、定光寺を参詣する。目付鈴木安大夫は遅参し、自ら過料を出す。公は戻ると新居で膳を食べる。未(午後1時)前、大森寺へ立ち寄る。吸物・酒を食べる。翌日、大森寺は登城し、御目見の際に帷子2、瑞物1を下される。寺社奉行小笠原三九郎、用人小笠原半平から来た手紙の写し。殿様が明後日定光寺から戻られた際は大森寺へ立ち寄られる。参詣ではないので白衣で座敷へ入られる。着座されるかは様子次第ある。本堂・念仏堂あちこちを見られるはずである。住持は送迎に門前に出るように。このことは大森寺へも申し遣わすように。以上。十人組尾崎紋左衛門の手紙には膳などは召し上がらずと云々。申半(午後4時)、城に戻る。
正徳1年5月10日。
5つ半(午前9時)、供揃えが始まる。常徳院様霊屋を直衣・束帯・靴で参詣する。黄金1枚を供える。両家老・飛騨守は衣冠を着用する。
正徳1年5月15日。
出仕があり、その後御下屋敷に逗留に出向く。
正徳1年5月16日。
下屋敷から建中寺を長上下で参詣する。霊仙院様霊屋へも参詣する。
正徳1年5月17日。
下屋敷から長上下で社参する。また御下屋敷へ戻る。夜、森崎頼母のところへ出向く。酒宴は明け方まで及ぶと云々。
正徳1年5月18日。
下屋敷で馬ノ頭を見る。
正徳1年5月20日。
下屋敷から三仏殿を詣でる。また戻る。
正徳1年5月22日。
5つ半(午前9時)の供揃えで御下屋敷から戻る。この時、御目見の子武田弥の右衛門は城へ来るようにと御意がある。広間上段で御目見する。お前の先祖は由緒があるので、このままにはしておけないと親切にされる。弥の右衛門の父は泰心院様誕生の際に名を上げたと云々。
正徳1年5月29日。
卯半(午前6時)供揃えで辰刻(午前7時)出発し、建中寺装束所へ入り、直衣・装束で帯剣はなく詣でる。隼人・山城・飛騨は襲、衣冠・帯剣で内陣に着座する。しばらく経を聴聞し、戻る。その前から経は始まっていたが、詣でる前に止めて着座の後続ける。