名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-06-08から1日間の記事一覧

部屋割とか面倒くさい

宝永7年1月27日。近頃、御供番4人が少しの間の逼塞となっていたが、許されて出てくる。去年の宿割りの不手際でと云々。跡部三太夫。

えー、くじで決めるんですか

宝永7年1月24日。この日から明日まで、光明寺で円光大師500年年忌の法事が行われる。来年正月に行うはずはずが来年は知恩院で法事があり、尾張侯の寺の他、一派の僧が出かけるので繰り上げとなる。くじに当たった光明寺で法事が行われる。

自然についたのか、放火なのかこれだけではわからない

宝永7年1月23日。巳(午前9時)前、杉の丁石井戸のあたりの裏屋でうちき(ママ)はた(?)に火が付いたのを消す。

執念深いなあ

宝永7年1月22日。坂源右衛門が死ぬ。御目見から73年で奉公・役儀は52年と云々。近頃、鈴木林左衛門は濃州落合に先日手討ちにし損ねた僕森平の兄のところへ包丁に出かけた。他に2人を連れて行った。森平の兄を2人で捕らえ、声も出させなかった。そ…

はいはい、また遊んでます

宝永7年1月21日。文左衛門は朝飯後藤入新田へ魚釣りに出かける。その足で大森寺へ出かける。森(守)山宝勝寺も後からやって来る。碁・双六を楽しみ、その後うどんを食べる。泊まり、夜明けに帰る。

うーん、それぐらいと思うのだけど

宝永7年1月20日。近頃、鈴木伴右衛門が召仕を手討ちにする。これも召仕の女関係のことで。

寺院も争いが絶えない

宝永7年1月18日。雲州様(松平義昌)の60の祝いがある。定光寺は隠居を願い出る。10人扶持下される。相応寺筋の上久法寺の屋敷を下され、その上150両を下される。昨年本寺から紫衣になるようにとやって来ていた。金700両が入るので寺社奉行が…

熱田神宮ってもめ事が多い

宝永7年1月15日。熱田神宮で歩射が行われる。時間が延びて、戌刻(午後7時)までになる。これは中臈の祢宜が日頃浄衣に縹平(ハナダ)絹 の指貫(さしぬき)を着ていた。古例に背く行為であった。また祝部(ハフリ)の座を大いに軽んじた。そのため祝部…

でたー、神男の拉致

宝永7年1月13日。国府宮の儺追(なおい)を丸淵の近村の中嶋郡寺内(ジナイ)村で捕らえる。近頃江戸で粟田一左衛門の悉皆人が乱心し、自害し損ねる。板乗物で名古屋へやって来る。

ちょっとカッコ悪いなあ

宝永7年1月11日。戌(午後7時)過ぎ、150石馬廻鈴木林左衛門は中間を手討ちにし損ね、立ち退く。この召仕は永らく仕える僕で、体力も少しあったと云々。この中間と林左衛門召仕の女と戯れるのを林左衛門は叱りつけた。僕が言うことを聞かなかったの…

これも男女の仲のもつれか

宝永7年1月7日。夕暮れ頃、成瀬藤大夫召仕中間久助という者が亀尾天神の町喜多尾弥三右衛門のところにやって来て下女志げという女を呼び出し、門内で少しずつ3ヶ所を切りつけ、脇差を捨てて逃げ去る。女は弥三右衛門のところで治療し、3月4日に片場下…

この廻文は2月の年季替えの前に出ます

宝永7年1月6日。先給先請の廻文がある。

正月早々だから良かったのでは

宝永7年1月4日。申刻(午後3時)、久屋誓願寺の近所の町屋で火燵から火が出ようとする。すぐに消し止める。

文左衛門も尾張藩士

宝永7年1月2日。文左衛門は昨夜丑半(午前2時)頃近所の仲間と頭のところへ出かける。寅刻(午前3時)に城へ出かけ、卯半(午前6時)に始まり、巳半(午前10時)過ぎに終わる。

宝永7年1月の徳川吉通の動向

宝永7年1月1日。年礼のため寅刻(午前3時)にいずれも登城する。対面所で礼を申し上げる。盃を頂戴する。町医者で御目見する者は諸士の後で御目見し、盃を頂く。町医者の中にはまごつく者もいた。連枝様方は卯(午前7時)前に礼をする。家中の礼は卯(…

宝永7年1月の地震です

宝永7年1月9日。酉半(午後6時)、地震がある。

宝永7年1月の天気です

宝永7年1月1日。時々薄曇。夜は曇る。子(午後11時)から雨が降る。丑(午前1時)前、雨が止み、晴れる。宝永7年1月2日。快晴。宝永7年1月3日。快晴。宝永7年1月5日。辰半(午前8時)過ぎ、しばらくの間曇る。わずかに雨が降って止む。晴。…