名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ケチったために出費がかさむとは

宝永5年4月25日。
奈良の洒布売がやって来て文左衛門に話していった。
この度出来上がった大仏の堂について昨年荻原近江守が見に行って話してくれた。
立松院から仏像が雨に濡れるので庇覆を設けたいと願い出ていた。
しかし、京の大仏殿と同じでは無駄ということで両方で16間(1間は約1、8メートル)減らしていた。
このため基礎や、柱などの仕組みも違ってかえって工事の費用がかかっていた。
しかも柱などの材木は多く残ってしまったと云々。
このように(図は省略)黒いところは8間ずつ、両方で16間減らした。
初めは京と同じく46間のつもりであった。