名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

その点文左衛門はのんきなもの

宝永4年12月2日。
昼過ぎから文左衛門は武右へ出かけ、源右・元右・善兵と口米の帳面を確認する。
成瀬隼人正ははなはだ困窮していた。
35、6匹の馬を15匹に減らすと云々。
家中へも5分ならし(5%)で100石について5石ずつ与えると云々。
出雲守様(松平義昌)も今年ははなはだ困窮していた。
家中への切米・扶持もはなはだ差し支えると云々。