名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

能瀬勘右衛門さんはいい迷惑ですね

元禄6年4月13日。
文左衛門は能瀬勘右衛門のところへ夕飯をごちそうになりに行く。
政之右衛門・理右衛門・長右衛門・雲平。九郎三郎が大いに酔っぱらってしまう。
九郎三郎・理右衛門が特に酔っぱらい、次の間で横になる。
理右衛門が言うには、もうお前は扶持も無くなったので俺に従えと。
九郎三郎は立腹し、新八とのことは誰も知らない者はいない。
もう我慢ならないとわめきだし、次の間から躍り出て刀を持ち出す。
目の色は変わっており、既にどうしようもない様子だった。
皆で何とか九郎三郎を落ち着かせ、理右衛門は政右衛門と帰らせる。
九郎三は元々泣き上手であったがこの日はいつもより激しく泣き出し、むせ返りながら歯を食いしばる。
座敷中に唾を吐きまくり、床の側畳4畳には甚だしく吐逆する。
その臭いが座敷中に立ちこめる。
玄関に寝させるも転がりまわり、また吐逆する。
花色の袷を着ていたが、吐いた上を這いまわったのでその汚さは言い表せないほどであった。
終には帯を解いて素っ裸になり、陰茎を出して仰向けになり、押込(押し入れ)の中へ入る。
首を縁でしたたかに打って跳ね返り、牛が吠えるような大声で痛い痛いと叫びだす。
また猫がいがみ合うような声をあげたり、歌を歌いだしたりもする。
人というものは度を超すと何をしでかすかわからないものである。
申半刻(午後4時)にようやく寝入る。
夜5つ半(午後8時)には帰っていく。
雲平も吐逆するが、熟睡する。
理右も政之右のところで吐逆する。