名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

若気の至りでは済まされぬ

元禄4年7月。
美濃郡奉行佐田弥五助手代の甥に服部七郎右衛門という者がいた。
親は滝川彦左衛門のところで足軽をしていた。
ある時、この七郎右衛門は尾張郡奉行恒河弥五平のところへ見習としてやって来た。
弥五平のところには女がいて、若い盛りの七郎右衛門に人を介して手紙を送った。
七郎右衛門も若く、何の考えもなくこれを受け入れた。
何度か会っているうちのある夜、妻にして欲しいと言われた。
その時は有頂天になり七郎右は承諾するが、後でよくよく考えると女は36、7で七郎右衛門は22であった。
母親のような年の者を妻にすることが不安になり、ある家で中小姓をしている女の夫が離縁すると願い出ても許ず、あれやこれやと先延ばしにしていた。
ある時、尾頭の茶屋に女の姨(おば)がいたが、女はそこへ七郎右を呼び寄せ、ぜひ妻にしてくれと頼み込んだ。
しかし、七郎右は承知しなかった。
女が私を刺し殺してくれと迫ると、七郎右は不甲斐ないなど言われる筋合いはないと、女を引き寄せて刀を抜いて刺し殺してしまう。
女が思わずわっと叫ぶので、姨が慌てて走り出て来た。
七郎右は自ら腹に刀を突き立て、流れ出る血で座敷は真っ赤に染まってしまった。
姨は急いで走り寄り、七郎右の自害を思いとどまらせようとした。
しかし、脇差しではなく、長い刀であったので思うようにはいかなかった。
2日生きた後に死んでしまった。