名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

連日の日置村での火事

宝永1年11月3日。申半(午後4時)、日置村で火事だと騒ぎがある。

これも被害はあまりなさそう

宝永1年11月2日。未明、日置村で火事があるが、すぐに消し止める。

9分も欠ければかなりの日食

宝永1年11月1日。9分の日食で、申の初刻(午後3時)に西の方が欠け始まる。申下刻(午後5時)には最も欠ける。半分欠けて日は沈んでいく。西国では元に戻ってから日が沈む。

宝永1年11月の天気です

宝永元年11月1日。巳(午前9時)過ぎて曇る。昼半(午後1時)しばらく雨が降る。その後段々と晴れる。夕暮れ後、地が2、3度揺れる音が聞こえる。稲妻もあり、雷かとも。宝永元年11月5日。巳(午前9時)過ぎて曇る。未(午後1時)前から雨が降る…

これも理由がわからない

宝永1年10月29日。藤江荷右衛門が高須で閉門となる。

今なら拷問はアウト

宝永1年10月25日。石黒三郎左衛門召仕の小僧を諸士小路を引き廻したうえで獄門とする。玄関番は天秤責め(拷問のひとつ)にあうが、申し開きができて三郎左衛門へ戻され、処分はまかせると。すぐに暇を出す。様物が4つ。立ち返った者など。

江戸の屋敷で傷ついた犬をちゃんと届けなかったんです

宝永1年10月23日。伴右衛門足軽伴内1人が公儀から追放となる。その他に処罰はなし。

やはり犯人なのか

宝永1年10月22日。今井甚左衛門は市(一)の宮の普請が終わり、飛騨守宅で褒美に銀3枚を下される。昨夜、代官生駒伊右衛門中間が自殺する。先日12日夜に女を切った夫であったが、その後の札には女を切った者はわからないとあったので犯人ではなかっ…

岩村騒動の今井家

宝永1年10月19日。岩村の今井八郎兵衛の子今井頼母は勝一郎に預けられていたが、先月11日に15歳で死ぬ。この夜、坂下禅隆寺で葬る。

ずっと熱田のあたりはゴタゴタしている

宝永1年10月17日。近頃、寺尾内匠の足軽は廃止となり、城代の支配となる。さし人(差人、相談なく後任となること)となる。後に同心は津田九郎兵に付く。弥次右同心は明組となる。足軽は九郎兵に付く。近頃、熱田開闔(閉)役大原彦之丞は隠居させられ…

こりゃ、ある意味で保険金詐欺

宝永1年10月16日。子(午後11時)過ぎ、伊勢町行き当たり三宅与三兵衛の長屋から火が出る。すぐに引き倒して消し止める。放火と。屋根から燃え上がるが、上下に火は燃え移らずと。小林の仲間から合力(力添え)として1角半ずつ出し合い、合わせて1…

まあ、平和な1日

宝永1年10月15日。七ツ寺弁財天平家講がいつも通り行われる。烏森善遊寺が善篤寺で住職となる。

しかし、殺さなくてもいいのでは

宝永1年10月13日。夕暮れ前、三沢四郎兵衛が僕を手討ちにする。この僕はこの日供をして曲淵一清のところへ出かけるが、酒を買って飲んで泥酔し、供をはずれるという不手際があった。

そうするとわざわざ名古屋まで酒を買いに来るのでは

宝永1年10月12日。呉服町下山孝右衛門の門外で同町柿崎八郎兵衛召仕の女が切り殺されている。前日に家へ出かけたと。明け方のことかと。山内・柿崎共に飛騨守の家来。この女は奥村又六の娘ユキと。近頃、日蓮坊主の夜行(夜出歩くことや夜回り)が行わ…

で、本当のことって何、殺したってこと

宝永1年10月8日。後藤弥次右衛門が亡くなる。62歳。少し前、病の時にかよという妾と交わる。たちまち気分が悪くなる。医師などは疑い、松井甫水が詰問して本当のことを聞き出す。かよは友の丞の母親。

安全管理をちゃんと行わないと

宝永1年10月4日。源了院様の3回忌の法事がこの日と翌日に相応寺で行われる。巳半(午前10時)読経が始まる。僧は40人。馳走奉行は横井作右衛門・稲葉惣左衛門。足軽頭林新六・森本孫助・野呂瀬半右衛門。近頃、上畠橋が造営される。大工1人が材木…

牛の玉なるもの見てみたい

宝永1年10月3日。申(午後3時)前から文左衛門は小一と甚五右へ出かける。絵図を校考(調査)する。そして牛の玉(牛黄)を見る。大きさは小さな柑子(こうじ)ほどで丸くて白い毛で覆われており、毛の中に少し肉の塊がある。手の中に置くとぬくぬくと…

やはり亡くなったか

宝永1年10月2日。上野藤左衛門が亡くなる。年は36、寄合600石。夜、常徳寺に葬る。戒名は事成院日幸と。子は2人あり、嫡市之助8歳、次男藤三郎3歳。

これは危ない症状

宝永1年10月1日。朝飯後、上野藤左衛門は出かけるが、武平町でにわかに気分が悪くなり、従兄弟の中村平左衛門のところに寄って休憩する。針などを立てるうちに寝入り、すぐに意識がなくなる。

宝永1年10月の天気です

宝永1年10月1日。晴。宝永1年10月3日。巳(午前9時)過ぎて晴れる。未(午後1時)前からわずかに雨が降る。申(午後3時)過ぎて晴れる。日が暮れてまた雨が降る。戌(午後7時)過ぎて晴れる。宝永1年10月4日。朝、深い霧が立ち込める。巳(…

全然おかしくないでしょう、怪我をさせられたんですよ

宝永1年9月28日。少し前、江戸向屋敷(藩主や家族の住む屋敷)番所の足軽頭加藤岡右衛門、平田藩右衛門4人が公儀の牢に入る。酔っ払いがやって来て番人に傷を負わせたので、この者たちが酔っぱらいを叩き倒したところ、酔っ払いを見たらいたわるべきで…

それだけ公家も金に困っていたということ

宝永1年9月27日。吉見刑部は7月26日に上京したが、吉田に仲介を頼んだ官位が一向に得られず、京に長く留まることとなっていた。吉田の言うとおりにして官位を求めると、費用がかさんでしまっていた。仲介を通さず直に申し上げようとすると、伝奏清閑…

どうして牢に入れられた

宝永1年9月26日。近頃、春日井郡古喜(小木)村で勧進相撲取4、5人が牢に入る。百姓であった。近頃、米が1両で7斗23升。(二三は実数ではなく多くも少なくもなく事足りという時に使うのですが)

この人、何をしでかしたんでしたっけ

宝永1年9月23日。近頃、飴屋又七が所払いとなる。

2人におこぼれはないのですか

宝永1年9月18日。小菅一郎左衛門が前にある堀の芦を中市場からやってきた町人足吉兵衛と刈っていると、泥の中から鰐口(鉦)1つを拾い出す。指し渡し(直径)は8寸(1寸は約3センチ)ほどある。その銘には、奉寄進可児郡大原村 思うに美濃。高社御神…

7月に牢に入った女たちですかね

宝永1年9月14日。申(午後3時)頃、星野七右衛門宅で代官奥田彦九郎は役を解かれ、小普請となる。手代、内詰まで残らず扶持を召し上げられる。仰せ渡しには彦九郎は鳴海女のことで不始末があり、役をおろそかにしたと云々。彦九郎はこの役を19年務め…

このような素晴らしい僧侶もいます

宝永1年9月11日。大光院逸堂が万松寺の住職となり、善篤寺は大光院の住職となる。この逸堂は金銀に手を触れることはせず、無欲な堅物であった。慈悲礼儀深く、かつてお褒めにあった坊主であると。

伊勝山宗寿へ行くのはたんに酒が飲みたいため

宝永1年9月5日。昼前から文左衛門は瀬左・加兵と伊勝山宗寿のところへ出かける。酒などを飲み楽しむ。申半(午後4時)に帰り、勝曼寺を詣でる。宝永1年9月9日。巳半(午前10時)過ぎから文左衛門は瀬左・加兵・源太左・友弥と伊勝山宗寿へ出かける…

勧進能は寄付を集めるためのものです

宝永1年9月2日。この日から飴屋町で勧進能が行われる。役者付。太夫は川勝権六。ツレは柘植佐兵衛、北村小太郎。子役は品村浅之丞、川勝酉三郎。ワキは山本伝左衛門、吉田十郎右衛門。笛は藤田三右衛門、勝山弥平次。小鼓は稲見喜左衛門、三上勘助、坂井…

知らないこともあるんですね

宝永1年9月1日。未(午後1時)前、巾下万松寺領の又右衛門という者の小家から火が出る。直ぐに消し止める。文左衛門はこれを知らなかった。